現在の琴似地区は札幌の副都心として発展していますが園基盤となっている琴似兵村の建設を進めたのは開拓使東京出張所に出仕していた村橋久成で、最初に10間幅の中央道路を建設しました。(現在の琴似本通)此を兵村の中心として東西南北に道路を設け村内の兵屋の地割を行い左図の様に整然とした兵屋が配置されました。この中央道路を挟んで南側(現在の西区役所前の屯田の森)に週番所(後の中隊本部)をまた、南東地区(現在の琴似神社)に養蚕の作業所を設けています。兵屋の配置は一戸が間口10間、奥行15間、、150坪の地積ですが、東西に通じた6間幅の道路の左右に10軒ずつ兵屋が並び、南側から1番通り、2番通りと名付けられ6番通りまで200戸の兵屋が並びました。この6番通りの北側に8軒が建築され合計208戸となりました。琴似兵村は、明治7年(1874年)に208戸が完成しました。この兵村は現在の札幌市西区琴似3丁目から6丁目にあたります。現在そのうちの一戸が[史跡琴似屯田兵村兵屋跡]として指定されています。所蔵 北大付属図書館
琴似の屯田兵屋は、旧仙台藩士や会津藩士からなり明治8年に198戸、翌年3戸、11年には7戸が入植して合計208戸からなっていました。現在札幌の地下鉄東西線[琴似駅]のすぐ近くに史跡として保存されています。この兵屋は清野専次郎さんに付与された住宅です。
入り口を入ると[土間]には当時使用した様々な農具が展示されています。
[土間]には[踏板]がとりつけられいます。写真は、居間兼台所でここには[炉]がありますが機織り機が置かれている処を見るとここが作業場としても使われていたのでしょうか。
二間続きの和室があり、8畳間と4.5畳間ですが、写真は8畳間です。現在はきれいな畳が敷かれています。
琴似屯田兵屋(北海道指定有形文化財)
琴似神社の境内の奥まった場所に[北海道指定有形文化財 琴似屯田兵屋]があります。
境内の奥に[琴似屯田兵屋]が保存されています。ここに保存されている兵屋は当時のものを改修した本物の兵屋で、上野案内ボードに記載されている様に現在地から東北約400mの旧位置から現在地に移転して復元し神社に奉納され保存されているものです。