吉田茂八も札幌開祖の一人で、碑は志村鉄一と対照的に豊平橋の西岸の小公園の中に建てられています。氏も志村鉄一と同じく豊平川の渡し守を勤めましたが、所謂[吉田堀]といわれる、現在の創成川の南3条から南6条の掘削工事の請負人として名を留めています。