この碑は、円山公園坂下グラウンド裏手の[北海道方面委員慰霊碑]と[殉難消防員之碑]の中間の小高い丘に建立されています。碑面には[志ろがねに かがやく雲の空に満ち 無制限なる いのちの流れ]と刻まれ、裏面には次のような碑文が記されています[山下秀之助先生は明治30年鹿児島市に生まれ、東京帝国大学医学部卒業、大正11年5月以来本道に在ること三十有五年現在は札幌鉄道病院長の職にある。大正の初期より作歌に精進して夙に名声あり、大正末期及び今次戦後に[原始林]を発行その間歌集[冬日]を始め4巻その他の著作によって昭和27年北海道文化賞を授与さる。先生は廉直にして高潔、英資温容はよく衆望をあつめ、医学界文壇歌壇の指標として業績甚だ顕著である。ここに高夙慕うものら相はかりその還暦を祝い、特に自筆を乞い碑に刻して後年への記念とする 昭和38年8月25日 建碑 山下秀之助先生歌碑建設期成会]。
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