この碑は、南10条西2丁目にあり、1丁目と2丁目が交差する三角帯に建立されています。高さが4メートルもあり一際目立つた存在です。漢文で書かれた碑文は時の総理大臣原敬、題字は、西園寺公望によると言われています。木下弥八郎は、1826年現在の兵庫県で生まれ、豊岡藩の家老職に就いていますが、明治に入ってからは北海道開拓のために尽力した一人です。