道路脇に一際目立つ鳥居が建っていますが、鳥居の奥に祠がひっそりと佇んでいます。祠と鳥居のアンバランスな取り合わせです。道路脇には[北の沢会館]があり、ここもかつては神社の境内だつたのでしようか。私有地の中に建てられた神社で開発が進み境内が住宅地に変わり現在のような姿になつたのかと推測しています。
祠は赤いトタン屋根で扉が閉められ中の様子を窺い知ることが出来ません。神社の由来はわかりませんが、明治40年に開拓の先人である丸藤米蔵氏が故郷の山形から八幡神社の御分霊を奉戴したことに始まるようです。御分霊は、昭和15年にこの神社に奉祀されました。祭神は八幡大神です。
鳥居をくぐり抜けると境内に土俵が設えられています。唯土盛りをしただけの簡単な土俵で他の神社の土俵に比べて見劣りがしますが、いかにも手作り感がにじみ出た土俵です。札幌の神社を回り土俵を設けている神社の多いのに驚かされます。相撲は国技として古くからの伝統を誇っていますが、昔から相撲が奉納行事として多くの神社で行われていた名残なのでしょう。現在でも各地の祭には子供相撲が盛んに行われているようです。
国道230号線の川沿いから山の手に向かうと北の沢です。この川沿いから北の沢、中の沢、南の沢一帯を藻岩地区と呼んでいます。北の沢は、かつては[四号沢]で、中ノ沢は[五号沢]、南の沢が[八号沢]と呼ばれていました。この地区の開拓が始まったのは明治5年に発見された硬石山での札幌軟石の発掘が始まりですが、昭和16年に札幌市と円山町(現在の中央区円山地区)が合併するまでは古い沢号に因んで[八垂別]と呼ばれていましたが、明治6年にこの地区の山林が官林に指定され、[北の沢]は、明治10年から山鼻屯田の公有地に、又、明治28年には[中の沢]は、琴似屯田の公有地となりました。現在北の沢、中の沢共に新しい住宅地として発展を続けています。この幹線道路は、230号線から北の沢を経由して[盤渓]に通ずる幹線です。盤渓は、特に冬期間札幌スキー場として多くの市民、スキーヤーが訪れる場所ですが、郊外の行楽地としても最近脚光を浴びています。藻岩の山間を抜ける道路の脇は、未だ農地も多く田園住宅地の趣です。