諏訪神社[東区北12条東1丁目]

諏訪神社
札幌諏訪神社は、札幌と石狩を結ぶ通称[石狩街道]の北12条にあります。現在は創成川が間近に流れていますが、この川もかつては[大友堀]として石狩から札幌へ物資を運ぶ重要な役割を果たしていました。大友堀を運行する人々の安全を見つめながら歴史の歩みを続けてきた社です。
由緒書
正門前に掲げられている[由緒記]には、大凡次の様に記載されています。[ご祭神は、建御名方之命と八坂刀売之命で、明治8年信濃人上島正他30 余名がこの地に入植して開墾を始める。移住者の総意で生国信濃の国一之宮諏訪神社の御分霊を奉戴し明治15年3月12日、ここに小祠を奉齊したことに始まる。明治9年村社に列格したが、明治15年以来札幌の鉄北地区の鎮守と仰がれている]。
本殿
この神社は、1878年(明治11年)信濃から上島 正他30余名がこの地に入植し1882年(明治15年)信濃國一の宮諏訪大社のご分霊を奉祭したのが始まりです。諏訪大社は、出雲大社の神様で古来より開拓殖産の神として崇拝されてきました。札幌諏訪神社も創建以来この地域の守護神として開発殖産の神として崇められてきました。
東こう園
上島 正の精魂込めた努力により完成した[東杲園]は、当時の札幌市民の憩いの場として大きな役割を果たしましたが、現代風に言えばイベント会場としても利用され、句会、碁会、謡曲などが盛んに行われていたようです。当時、開拓使の構想によると、札幌の東西南北に大規模な公園を作る事として、西には[円山公園]南には[中島公園]北には[偕楽園]そして東には[東こう園]が計画されていました。円山・中島公園は現存していますが、偕楽園、東こう園は、現存していません。この計画が実行されていたならば札幌の町並みも趣を異にしていたかも知れません。所蔵 札幌市公文書館
石狩街道
写真は北12条付近の創成川を挟んだ幹線道路です。 上島 正が東杲園を造成した当時は、雑木や枯れた大木の原始林で鬱蒼としていました。現在は住宅が密集するエリアに変わりましたが、僅かに当時の面影を遺しているのが街道沿いに佇む[諏訪神社]です。