[豊平]という地名は、アイヌ語で[トイェ・ビラ(崩れた崖)]で、豊平川の川岸の一部の呼び名から付けられたものです。[豊平神社]は、豊平橋を渡り千歳方面に向かう国道36
号線沿いにあります。近くにはかつての定山渓鉄道の[豊平駅]がありました。この神社は、1871年(明治4年)青森から入植した阿部仁太郎が現在の社殿の東側に祠を建てて奉齋したのが始まりで、社殿は、1884年(明治17年9に造営されたものです。歴史のある神社だけに、ここで開かれる月1回の骨董市には毎回多くの客が押し寄せる名物イベントに成っている様です。
豊平神社の境内には、[針供養歌碑]が建立されています。針供養は、縫い針に感謝し、裁縫技術の上達を祈る日本古来から続く行事です。この碑は、神社の近くにある、北海道文化服装専門学校が、在校生、地域の婦人会と共同で昭和36年に建てたものです。碑に刻まれた歌は、北海道の代表的な歌人であった小田観蛍さんの作品です。
針をのぶる 裁ち縫ひにはげむをみなら 数々の 折れたる針をいとほしみつつ
国道36号線は非常に交通量の多い国道で、交通事故多発地帯だけに交通事故の撲滅と安全を祈る地域の皆さんの心情が伝わって来るようです。
豊平神社には、用水に関するいくつかの記念碑があります。[聯合用水開渠六十年記念碑]もその一つです。聯合用水は、豊平、平岸、上白石、白石の四ヶ村が明治26年に組合を結成して用水路を造り、水田耕作に大きな役割を果たしました。この開渠60年を記念して建てられたものだと思いますが、碑文は殆ど読めません。僅かに題字だけが読み取れる状態です。