東苗穂の中心を走る[三角点通]沿いから少し住宅地に入った処に[苗穂山農本神社]があります。回りを住宅に囲まれた一角に白い立派な鳥居と装いも新たな社殿が鎮座しています。
この神社の由来は、明治2年に水森源五郎がこの地に入植して同16年5月に自家の守護神として[金比羅稲荷]を祀つた事に始まっています。その後昭和8年に小祠は現在地から約50b離れた場所に移されて[大山祇神、木花咲屋姫]のご神霊を合祀して[苗穂山神社]と呼ばれ、この地区の守護神として崇められてきましたが、平成9年現在地に移され社殿も改築されて[苗穂山農本神社]又は[苗穂山神社]とも呼ばれています。
三角点通からも見通せる位置にあり、見た目にも地域の神社というイメージがぴつたりです。鳥居前はゴミの集積場となつており、こんな処にも地域の一員としてとけ込んでいる様な感じを強くしました。
鳥居の前に建立されている碑です。碑には[授爵記念]と刻まれていますが、この碑は、かつてこの地域で大きな農場を経営し地域の農業の発展に大きな功績を遺された、佐藤昌介氏の碑だそうです。[授爵記念]という碑文は、農学校で氏の一期後輩の南鷹次郎氏の筆によるものです。
札幌農学校教授の佐藤昌介氏は、明治23年苗穂監獄署裏に170町歩の貸し付けを受け、小作農場を経営しました。湿地で悪条件の農場を余暇を見ては馬を走らせて巡回し、小作者の指導に努め之ち耕地を300町歩に増やすなど農地開発に尽力されました。
この写真は、改築された新社殿です。
2010年9月T・Aoyamaさんが撮影されたものです。
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