中ノ沢神社[南区中の沢]

神社全景
藻岩地区の[北の沢]と[南の沢]の中間に位置するのが[中の沢]で、かつては[五号沢]と呼ばれていた地域です。[中ノ沢神社]の場所がわからず苦労しましたが、[中の沢会館]と公園の間にあることがわかりました。ゆつたりとした雰囲気の農村の中に佇む神社です。隣の公園では、ゲートボールを楽しむシニアの姿も見られ、公園内にある神社というよりも神社の境内内にあるゲートボール場と言った趣です。写真では良く見えませんが、鳥居には[山の神社]の額が掲げられています。
本殿
鳥居の奥に小さな祠が建てられています。この神社は、明治28年山鼻屯田兵森万蔵が給与地として下付された地に標柱を建てて山の神を奉祀したことに始まります。祠の階段手前右下に、[山の神碑]が建立されています。この碑には[山の神社 講八垂別五号沢]と刻まれています。
由来書
階段の脇に[神社の由来書]を記した案内板が設置されています。それによると、明治32年に小祠を建てて[山の神社]と称していました。現在地に移転したのは昭和55年です。この神社には祭神として、山の神、豊受大神、猿田彦命が祀られているそうです。
土地区画関連記念碑
鳥居の側に建立されている記念碑で[中の沢土地区画整理事業完成記念碑 親和]です。側に建てられている案内板によれば[中ノ沢は、かつて五号の沢と呼ばれ、昭和16年の町名変更で中ノ沢となつたが、それまでは川沿(旧本通)北の沢(四号の沢)南の沢(八号の沢)と一緒に八垂別と称されていた。八垂別とはアイヌ語で[淵の川]という意味である。明治25年以降富山県などから入植が始まり、大正末期までには43戸が入植したが、当時は鬱蒼たる原始林で開墾には想像を絶する苦労を虐げられた。この間山火事や水害で転出者が相次いだが、残留した25戸の農家が中心となって農産物の一大産地して大きな発展を遂げた。近年札幌市の発展に伴い宅地造成が高まった為、昭和63年に土地区画経理組合を結成し、5年の歳月を経て[藻岩グリーンタウン]の完成を見るに至った]。