豊平川の東側に拡がる豊平区水車町は、都心にも近く地下鉄東豊線のアクセスにも恵まれ、マンシヨンが立ち並ぶ住宅街を形成しています。又、平岸街道沿いには北海学園の大学、高校などがあり学生の街としても大変な活況を呈しています。[水車町]の由来は、かってこの地区にはいくつもの枝川が流れ、明治・大正期には、数軒の水車小屋があって精米や製粉の動力源として使用されていたためこの町名が付けられたと言われています。正式には[すいしゃちよう]です。豊平川に架かる幌平橋と南大橋の中間で、川の東岸を走る[真駒内-篠路線]の直ぐ側にあるのが[難得神社]です。マンシヨンが立ち並ぶ住宅街の一隅にこんもりとした木立に隠れてひっそりと佇んでいます。
正面の鳥居から見た社殿です。鳥居も脇から垂れ下がる木立で覆われている中で[難得]という額だけが一際目立っています。この神社はかつて[へび神社]と言われていたそうですが、へびと難得の関係が良く判りません。
神社の敷地内はこんもりとした樹木が生い茂り、境内の周囲は工事用の鉄パイプで仕切られ、境内の外側は駐車場で、正面の鳥居も柵で仕切られここから入る事も出来ません。この神社を外側から眺めていると、近代化した街中に取り残された寂しさを覚えます。社殿の赤ペンキのトタン屋根だけが朝日に照り映えて存在感を誇示しているようです。
社殿に進むと[ご自由に扉を開けて参拝下さい]という案内が扉に掲げられています。扉を開けると正面に[難得大龍王]という額が目を惹きます。どこかに神社の由来を記した案内がないかと探しましたが見あたりません。いろいろな説があり、その中には[死んだヘビの供養のため創設された]という説もあるそうですが、豊平区のホームページには次の様に記載されています。[現在の難得神社は、昭和31年に改築されたが、当初は豊平の古刹である経王寺の日光上人より守護神として[難得大龍神]を授かったのが始まりで、水の神様として知られている]。かつて豊平川の氾濫で悩まされた人々の気持ちが理解できる様です。