地下鉄東豊線[福住駅]から福住中央通を進むと[福住厳島神社]の正門です。隣接して開拓記念館もあります。福住地区は、明治4年岩手県の入植で開墾が進められ当初は[六軒村]と呼ばれていました。この中央通が明治23年に開通して[月寒村西通]となりましたが、昭和19年に現在の福住に変わりました。地下鉄福住駅前に古い歴史を持つ[福住寺]が現存していますが、この寺の名前に因んで地名が付けられた様です。
正門の鳥居をくぐると神社の境内は地区の小公園的な存在で何時もこの境内で戯れる子供達の喚声が木霊しています。境内の中に記念館の玄関があります。
この神社は、旧豊平町で最初の神社でした。広島県からの入植者が郷土から厳島神社の御分霊をいただき稲荷神と一諸にお祀りしました。明治33年には[西山神社]と称せられましたが、同36年にご神体が月寒神社に移されたため空の社殿となつていましたが平成4年に厳島神社と伏見稲荷神社のご神体を奉戴してついで平成8年には北野天満宮のご分霊もお祀りしています。ご祭神は、市杵島姫命、倉稲魂命、菅原道真です。
神社に隣接して敷地内に[福住開拓記念館]があります。この記念館は、昭和46年の開基百年記念事業として建てられたものですが、かつての境内にあった農業倉庫を改装したものです。記念館には、福住の歴史や開拓者の生活の姿が多くの展示品と共に語り継げられています。