北海道神宮[中央区宮ヶ丘474番地]

拝殿入り口
写真は、北海道神宮の拝殿の様子です。北海道神宮には,北海道の国土の神様である[大国魂神(おおくにたまのかみ)] 、
国土経営・開拓の神様 である[大那牟遅神(おおなむちのかみ)],国土経営・医薬・酒造の神様 である[少彦名神 (すくなひこなのかみ)],
そして近代日本の礎を築かれた天皇である[明治天皇 (めいじてんのう)]が祀られています。



[表参道]
表参道には[第一鳥居]と[第二鳥居]があります。
さざれ石
北1条西25丁目にあるこの鳥居が[第一鳥居]で1895年札幌軟石で造られましたが、1928年外側に銅板を巻いた高さ8.7メートルの鉄筋コンクリートに作り替えられ今日に至っています。
島義勇判官銅像
[第一鳥居]から西に進み宮が丘474に建立されている鳥居が[第二鳥居]で、北海道神宮の正門です。ここから拝殿までは長い参道で、両サイドは桜並木で、右サイドは巨木が生い茂っている原始林(下図右)、左サイドは[梅林 (開花時の写真)]が広がっています(下図左)。


この銅像は、島義勇判官銅像で北海道神宮の正門にある神門左手の樹木の間に勇姿を顕しています。北海道神宮が昭和39年に造営が竣功しその10周年にあたる昭和49年に記念事業として建立されたものです。この碑は、4メートルを超す大きな像で、島義勇が背中に開拓三神を背負っています。島は札幌に入ると神宮の裏山に登って石狩平野を見下ろし、札幌本府の計画を練ると同時に、三神を祀る社地を選定し現在地を決定しました。像の前には、前田勝也宮司が書いた[島義勇判官銅像建立の記]説明板があります。


現在の北海道神宮は、当初は[札幌神社]でした。1869年(明治2年)蝦夷地が、北海道と改められ、その年天皇の詔により東京で[北海道鎮座神祭]が行われ、北海道開拓の守護神として[開拓三神]が鎮祭されました。その御霊を島義勇が札幌に運び、鎮座しました。現在地に[札幌神社]が建てられのが、1871年(明治4年)の事です。写真は創建当初の札幌神社です。 所蔵 北大付属図書館
                
境内の[桜と梅]
北海道神宮境内は、[桜]と[梅]でも良く知られています。参道の左手の道路沿いに下記の[桜の由来]が書かれた銘板が設置されています。ここには凡そ次の様に書かれています[明治8年4月手稲村の住人福玉仙吉は山々を歩いて集めた桜(エゾヤマザクラ)150本を始めて献木しました。当時の境内周辺は、巨大な老木や潅木が鬱蒼と茂り昼なお暗い状況で道路という程の道もなく、参拝する人は殆ど見られませんでした。このエゾヤマザクラは、第二鳥居から参道に向かって左右両側に植えられましたが、これが北海道の桜の名所となった境内の桜の始まりです。
(註)大正5年福玉仙吉記念碑が建立されましたが損傷のため平成8年この銘板が建立されたものです。




一方[梅]は、参道左手に広がる[梅林]に白87本・紅21本が植栽されていますが、神宮境内全体では200本以上あるそうです。


梅林内には[吟魂碑]と[梅林碑]の二つの碑が建立されています。

[裏参道]

[裏参道]には、[第三鳥居]と[公園口鳥居]の二つの鳥居があります。写真は[第三鳥居]で、鳥居と公園内を縦断する南1条線との間に[北海道神社庁(左図)と、剣道の道場である[養心館(右図)があります。


第三鳥居を入ると道路が三本に分かれており、右手の歩道は[公園口鳥居]に通ずる歩道です。真っ直ぐに進むと左手に[明治天皇御増祀二十年植樹林]があります。

植樹林と歩道を挟んで反対側には歌・句碑や歴史を留める幾つかの碑が建立されています。

遠山英一[札幌興風会会歌]碑
宮崎芳男歌碑
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中山周三先生歌碑

御鎮座五十年玉垣門記念碑

長谷部虎杖子句碑

皇軍全勝祈祷之碑

日露戦没者記念碑


白野夏雲顕彰碑


樺太開拓記念碑

この碑は、樺太からの引揚者が先人の偉業を称え、慰霊のために昭和48年8月23日、北海道神宮の境内の一隅に建立されたものです。題字は当時の北海道知事堂垣内尚弘さんが揮毫しています。碑の裏面には、間宮林蔵の樺太探検から日露戦争後の南樺太、昭和20年のソ連軍の侵攻と領有など、樺太に関してその歴史が克明に記載されています。現在の日ソ間の領土問題に絡んで考えさせられる碑の一つです。

写真は、[円山公園口鳥居]です。この鳥居を過ぎると緑豊かな神宮境内が広がり、四季折々の花々を愛でる事が出来ます。神宮拝殿に至る途中には末社が鎮座しています。

北海道神宮末社殿

[開拓神社]


[開拓神社]です。この神社は開道70年にあたり、北海道開拓に偉大な功績を遺された先人をお祀りするために昭和13年8月15日に現在地に鎮座されたものです。ここには開拓功労者37柱が祀られています。8月15日が例大祭ですが、この日は[蝦夷地]が[北海道]に改められた記念日でもあります。
[札幌鑛霊社]


この[札幌鑛霊社]には、北海道開拓の先駆をなした鉱業に従事しその発展に尽くされた殉職者を奉祀しています。昭和24年から北海道神宮の末社として現在地に鎮座されています。北海道にとって石炭産業はかつての主力産業の一つでしたが、現在では道内炭山が殆ど閉山しています。かって繁栄した炭坑の町は過疎地となっている歴史の流を今に伝えている社です。
[穂多木神社]


この[穂多木神社]も、歴史の流を留める神社です。旧拓銀は、北海道開拓の牽引車として1世紀にわたり北海道のリーダーとしての役割を担って来ました。平成9年に営業破綻して現在では[拓銀]の名前は忘れかけています。この神社には北海道拓殖銀行に永年勤続していた物故者を奉祀しています。この神社を見ると北海道でのかっての拓銀を思い起こし、複雑な心境にさせられます。