上手稲神社は明治9年仙台藩からの移住者が、現在の宮の沢2条4丁目に小祠を建立して上手稲神社と呼んでいました。現在地に移転したのは昭和40年の事で平成18年は創祀130年を迎えている大変古い神社でもあります。この神社には御祭神として天照大神、須佐之男命が祀られています。社殿の屋根が急勾配で一見教会風な建物と間違えそうなイメージです。
[上手稲神社]は、地下鉄東西線[宮の沢駅]から徒歩で約10分の距離にあります。近くには[手稲記念館]もあります。かつてこの地域は[上手稲村]に属していたため現在も西区西野にありながら[上手稲]という名前が付けられているのです。神社は宮の沢駅から西野屯田通沿いの小高い丘にあり、急勾配のある階段を登った奥に拝殿が鎮座しています。写真は、表参道でこれと並んで裏参道もあります。裏参道の両側は[鎮守の森]で多くの樹木に覆われています。境内には、ご神木や牛馬塚なども建立されています。
牛馬供養塚]です。この塚は大正9年に建立されたもので、開拓当時共に苦労を重ねた牛馬たちの霊を慰め往事を偲ぶために建てられたもので毎年9月14日には供養祭も執り行われている様です。
このご神木は、神社が昭和40年現在地に移った後も、西町20丁目の旧神社跡で生育を続けてきた銀杏でしたが、地下鉄の開通のため平成6年に現在地に移植されご神木として崇められています。
上手稲神社のある[宮の沢]はかつては[上手稲村]でした。現在の札幌市手稲区の前身は[手稲町]それ以前は[手稲村]でした。手稲村は、上手稲村、下手稲村、山口村の三つに分ける手稲村大字三村時代が昭和7年まで続いていました。当時の上手稲村は現在の、宮の沢・西町・西野・平和の事です。神社の小高い丘の上から見渡すと地下鉄宮の沢駅を中心に大型商業施設や生涯学習センター(チエリア)、数多くのマンシヨン群が眺望され新しい都市機能を持った地域として発展を続けています。