[山本稲荷神社]は、厚別区の[山本通]のバス停側にあります。道路沿いに赤い鳥居が直ぐに目に留まります。鳥居の奥深くこんもりとした森の中に社殿がありますが、道路からは見ることが出来ません。
鳥居の側まで近づくと、鳥居に[山本稲荷神社]の扁額が掲げられています。開拓当初このあたりは[本田]と呼ばれていましたが、1934年(昭和9年)に開拓の祖である山本久右衛門さんの子である山本厚三さんの姓に因んで[山本]と改称されました。鳥居から長い参道が続きます。
赤い屋根が光に反射しています。この神社は1909年(明治42年)、山本農場開拓当初から小祠が祀られていましたが、1913年(大正2年)に三吉神社のご分霊を合祀し、現在は[稲荷神]と[三吉大神]を祀っています。現在の社殿は、1920年(大正9年)建立されました。
広い境内に建立されている[山本開基百年記念碑]です。碑文の概要は以下の通りです。[北海道国有未開地処分法に基づき1908年(明治41年)に山本地区の開墾許可を得てからここに満百年を迎えた。この地も稲作水田地帯から宅地開発や本市の環状グリーンベルト構想用地への転換等、今や大都市札幌の一地域として新しく開発が進み大きく変貌した]。
2008年(平成20年)9月に建立。
[山本用水記念碑碑文] 山本用水のあゆみ
大正8年、部落民全部の水田と飲水のため厚別川から取水して利用したのが始まりである。昭和19年、当時の地主山本厚三名義の用水路を戦後の農地解放を待たず低廉な価格で小作人57名に名義変更していち早く小作人の自立の道を開いた。昭和20年より山本用水組合を設立し、管理運営に努め現在に至る。これら先人の努力によつて、水害、冷害など幾多の困難を乗り越え、土地改良との闘いを続けてきた山本地区は美田として生まれ変わったのである。 (平成14年9月山本用水組合が建立)
[謝恩之碑]
この碑は、山本地区開基50周年を記念して
1958年(昭和33年)に建立されたものです。
左図は、神社の前を走っている山本通です。写真の右前方に見える森が
山本稲荷神社です。右図は、中央バス[山本稲荷神社前]の停留所です。
停留所から神社までは徒歩3分程です。