[北海道開拓の村]の農村群の一隅に[旧信濃神社]があります。周りは木立が茂る森の中に静かに佇んでいます。社殿は鳥居の奥深くに鎮座して道路から見ることができません。この神社の所在地はは、長野県諏訪地方の出身者が多かったため[信濃開墾地]と呼ばれ、神社を建設するに当たっては、郷里の諏訪大明神のご分霊を頂き信濃神社と命名したものです。
以下の画像 所有 北海道博物館
砂利道の参道を進み、鳥居のそばまで来ると奥に社殿が見えてきます。
ここからは玉砂利の上に石段が整然と敷かれています。
この社殿は、間口が2本の柱で構成される[一間社流れ造り]と云う様式で神社に良く用いられているものだそうです。この社殿は明治30年建築されたもので、現在の厚別区厚別中央4条3丁目にあったものを、昭和53-55年に復元してこの場所に移設したものです。
社殿に向かって左側に[手水舎]がありますが現在は使われていないようです。
|
神社前の広場に[地神碑]と並んで建立されている石像です。 |
神社の前の広場に建立されている[地神碑]です。五角形の石碑で札幌軟石で造られたものです。正面には[天照大御神]、周りには[少名彦命][誉田別命][稲倉魂命][大己貴命]の名前が刻まれています。台座には、明治34年3月21日と記載されています。 |
|
開拓の村正面に設置されている標石です。この開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54.2ヘクタールの敷地に移転復元し・再現した野外博物館です。(案内パンフより)。ここには、49の建造物が保存され、市街地群・漁村群・農村群・山村群にわかれて建造物が保存されています。