[地神碑]は、記録によると春は神々に対して五穀の豊饒を祈願し、秋には収穫を感謝するため神々を祭ったのが地神碑の由来の様です。地神碑は、五角柱の石の柱で、それぞれの面に天照大神(あまてらすおおみかみ)、稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、植安媛命(はにやすひめのみこと)、大己貴命(おおむなちのみこと)等の神名が刻まれています。札幌市内には12の地神碑が現存しておりその大半は神社の境内に建立されているものが大半です。このサイトでは現存する12体の内11体を紹介します(1体は個人の邸宅の敷地内にあるため撮影は出来ていません)。





札幌市北区茨戸の[茨戸天満宮]の境内に建立されています。中央バス石狩線の東茨戸二条一丁目の停留所から徒歩5分ぐらいの処にある神社です。






屯田兵の守護神として崇められていた[江南神社]です。住宅団地として大きな発展を遂げている屯田地区の北端にあって静かな田園風景が漂う静かな佇まいです。この境内に地神碑が建立されています。




北区太平8条2丁目にある[太平会館] の裏手の一隅に建立されている地神碑です。この太平会館には資料室もあり開拓時代の資料が展示されています。



[新川皇太神社]は、札幌市の北区新川3条13丁目にあり、地神碑は新川皇太神社社殿の脇に建立されています。








札幌市北区篠路拓北にある地神碑です。JR学園都市線の拓北駅から徒歩で20分程度。ペケレツト湖園に通ずる山口幹線(通称藍の道)の一隅に開拓にゆかりの深い記念碑が並立しています。その中の一つが[地神碑]ですが、他の地神碑と違って立派な台座の中に2体が建立されています。





JR学園都市線新琴似駅から徒歩10分程度の場所にある新琴似神社境内に建立されています。この碑は明治34年旧8月15日に建立されたと記載されています。










[北海道開拓の村]の農村群の一隅に[旧信濃神社]があり周りは木立が茂る森の中に静かに佇んでいます。神社の前の広場に建立されているのが[地神碑]です。五角形の石碑で札幌軟石で造られたものです。正面には[天照大御神]、周りには[少名彦命][誉田別命][稲倉魂命][大己貴命]の名前が刻まれています。台座には、明治34年3月21日と記載されています。



定山渓温泉郊外の農本神社にも地神碑がありました。








札幌市東区のはずれにある[福移神社]境内にある地神碑です。この地区は明治15年福岡の黒田藩の氏族が入植した集落で[福移]の名前は、[福岡]の[福]と[移住]の[移]に由来したものです







[上砥山神社]は、南区の砥山地区にあり札幌市の市道[砥山豊平川沿線]の[八剣山トンネル]を越えた処にあります。地神碑は神殿内にあり外から拝観出来ません。写真は札幌市南区のホームページから区の許可を戴き転写したものです。