かっての建物は、現在再開発された[札幌フアクトリー]内に[開拓使麦酒醸造所見学館]として残されています。 展示室には麦酒醸造の歴史や、北海道産業との関連などを示す資料が、写真パネルなどで多数展示されています。この写真で見える人物は、[村橋久成][中川清兵衛]のお二人です。お二人とも本道麦酒生みの親であり、北海道産業史の上でも記録に残る方々です。 中川清兵衛は1977年(明治10年)初めての麦酒である、開拓使のシンボルである北極星をマークした冷製[札幌ビール]を作りました。此が札幌麦酒の発祥です。 村橋久成((1840-1892年)は、薩摩藩主島津家一門、加冶木島津家の分家に生まれました。1865年に藩の留学生としてロンドン大学に学び、帰国後の1871年同じ薩摩藩の黒田清隆が次官を勤める開拓使に採用されて麦酒醸造所建設の責任者となっています。当時の計画は建設地が東京であったものを北海道に変更することを強く主張した村橋久成の意見が取り入れられ、彼の卓越した行動力でこの醸造所が完成したのです。まさにサツホロビール生みの親と言うべきでしょう。下図は、村橋久成が提出した稟議書です。 胸像[残響]です。このブロンズ像は高さが77㌢あります。残響の由来は、1982年に札幌在住の作家田中和夫さんが小説[残響]で村橋さんの功績を讃え、この小説に感動した彫刻家中村晋也さんが胸像を制作したものです。知事公館は北海道の開拓とも深い繋がりを持った場所だけに、この胸像が設置されるには最適な場所だと思います。 |