現在の北海道神宮は、蝦夷地が北海道と改められた明治2年に[開拓三神]を祀るため創建された[札幌神社]が始まりです。昭和39年に明治天皇が増祀されるにあたり[北海道神宮]と改称されました。北海道の総鎮守として崇められていますが、境内は桜の名所としても有名です。


[開拓三神]と島義勇

島 義勇の像北海道神宮の境内の一角に島 義勇の像が建立されています(写真左図)。この銅像は、島義勇判官銅像で北海道神宮の正門にある神門左手の樹木の間に勇姿を現しています。北海道神宮が昭和39年に造営が竣功しその10周年にあたる昭和49年に記念事業として建立されたものです。この碑は、4メートルを超す大きな像で、島義勇が背中に開拓三神を背負っています。
1869年(明治2年)蝦夷地が、北海道と改められ、その年天皇の詔により東京で[北海道鎮座神祭]が行われ、北海道開拓の守護神として[開拓三神]が鎮祭され、太政官訓令の中に、石狩に本府を建て、祭政一致の建前から神を祀る事を命令されました。そのため、島は北海道に渡る際、神祗官から[開拓の三神]を授けられていました。島は同年9月25日函館に着き、単身開拓三神を背負って陸路札幌に向かい10月12日銭函に到着後札幌市内に仮宮殿を設けました。また、銭函到着後直ちに先発隊を札幌に向かわせて神社予定地を見定め現在地に決定しました。この案内役を務めたのが渡守志村鉄一であり、宿泊所が吉田茂八宅でした。

島判官紀功碑写真左図は、円山公園の原始林入り口側の一隅に大きく聳えて建立されている[島判官紀功碑]です。碑は高さ8メートル、幅2,2メートルで上段に書かれている[島判官紀功碑]は、義勇の旧藩主である鍋島直映が書かれたものです。碑文は第12代北海道長官中村純九郎が書かれたもので、札幌の街造りの基礎を築いた義勇の功績が記されています。

創建された札幌神社

札幌神社銭函に到着した島義勇は、札幌市北5条東1丁目に仮宮殿を設け[一の宮]と称しました。当初は仮宮の[札幌神社]でしたが1871年(明治4年)当時の判官岩村通俊によって現在地に移されています。写真左は現在地に移された札幌神社です。(所蔵 北大付属図書館)
現在の円山地区は、明治3年に、山形県庄内地方から移住した農民30戸90名をこの地に入植させ、[庚午三の村]と呼んだのが始まりですが、翌4年、時の判官岩村通俊が京にならって円山村と名付けました。

草創期の札幌神社


明治5年当時の札幌神社明治5年当時の札幌神社(現北海道神宮)です。未開の森の中に鎮座しています。(所蔵 北大付属図書館)

明治10年当時の社殿と例大祭の様子です。(所蔵 北大付属図書館)
明治10年当時の社殿 明治10年当時の例大祭

明治20年の例大祭明治20年の例大祭。(所蔵 北大付属図書館)

左図は明治30年代の鳥居から社殿を望んだ様子です。右図は明治30年代の花見の様子です。(所蔵 北大付属図書館)
明治30年代の鳥居 明治30年代の花見風景

札幌神社遥拝所(頓宮)

当時の札幌神社は、札幌本府(札幌市街)からは遠隔地にあり、特に冬季間は参詣にも大変だった事から市街地に遥拝所が設けられました。遥拝所は、1878年(明治11年)現在地である南2条東3丁目に建立され地域の住民はここから札幌神社(現北海道神宮)を遙拝していました。この頓宮も1901年(明治34年)に失火により全焼しましたが、その後1910年(明治43年)には北海道神宮の大造営による旧材で現在の社殿が造営されました。このときに[頓宮]と称せられる様になりました。毎年の北海道神宮例大祭(札幌まつり)の御神輿もお休みになる場所です。
遥拝所

引用先[札幌繁栄図録(高崎龍太郎・財界さっぽろ)]
頓宮

現在の[頓宮]

札幌神社の参道

札幌神社創建時以来大通を中心に北側は、[表参道(現在の北1条宮の沢通)]南側は、[裏参道(現在の南1条通)]と呼ばれていました。

表参道

[表参道]と呼ばれる北一条通りのうち、円山地内(西20丁目より第一鳥居までの部分)が開墾されたのは大正9年で、明治3、4年の入植以来ここは個人の所有地で最初は雑穀菜豆類を耕作していたが、大正時代からは野菜を栽培生産し札幌市民に供給していた。大正9年の札幌神社(現北海道神宮)の例大祭にあたり神社拝殿から札幌市街までを真っ直ぐに結ぶ道路の開墾を発議し、既存の北1条通りを西に延長して西20丁目から西24丁目第一鳥居まで約300間の野菜耕作地に、幅11間の道路を開墾して札幌神社参道としたものである。これを記念して北1条西4丁目の元市役所前に社号石標を建立した。(註)[円山百年史]より抜粋して引用させていただきました。

北海道神宮の石標北海道神宮第一鳥居北一条西四丁目の交差点です。道路の分離帯には北海道神宮の石標が建立されています(左図)。
(右図)の鳥居は1895年北海道神宮第一鳥居として札幌軟石で建てられまし たが、1928年に外側に銅板を巻いた高さ8.7mの鉄筋コンクリートに生まれ変わりました。。
この鳥居から更に西に進むと北海道神宮の正門第二鳥居があります。

裏参道

円山公園の木々の間のなだらかな坂道を登つていくと[公園口鳥居]と[第三鳥居]があります。この第三鳥居から札幌中心部に向かって真っ直ぐに伸びる南1条西28丁目から西20丁目までを[裏参道]と呼んでいます。現在の円山公園[坂下グランド]は、明治13年から明治34年までは[円山養樹園]でした。このため現在も公園には珍しい樹木が見られるのです。また、古くはこの通りでは地域の農民が野菜を持ち寄り[円山朝市]も開かれるなど大変な賑あいを呈していた様です。下右の写真は、南大通西23丁目にある[まるやまいちば]です。この[いちば]は、かつての円山朝市の面影を残している唯一の存在でしたが現在は解体されマンションが建っています。2012年にこの一隅にミニいちばが開店しました。
写真左図は、第三鳥居 写真中央図は、かっての[まるやまいちば]  写真右図は大正期の[朝市]所蔵 札幌市公文書館

第三鳥居まるやまいちば

北海道神宮

大正2年当時の全景

大正2年当時の全景 所蔵 北大付属図書館 
現在の社殿

現在の社殿

北海道神宮は、札幌市中央区宮が丘474にあります。約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。札幌神社が現在の北海道神宮に変ったのは昭和39年です。この年明治天皇を増祀し、現在は、北海道神宮には、四柱(大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇)が祀られています。北海道神宮には、境内社として[開拓神社(物故開拓功労者を祭祀)]、[札幌鉱霊神社(鉱山殉職者を慰霊する神社)]、[穂多木神社(北海道拓殖銀行の物故功労者を慰霊する神社)}があります。
開拓神社

開拓神社
札幌鉱霊神社

札幌鉱霊神社
穂多木神社

穂多木神社