藻岩山麓通

[藻岩山麓通(道道89号)]は、札幌市中央区南19条西16丁目(ロープウエイ山麓駅入り口)を起点として札幌の街を眼下に見下ろしながら丘陵地帯を走り、途中[伏見][旭ケ丘]を経由して[円山西町]からは[円山]の山側を迂回して宮の森3-11で[北1条宮の沢通]と交差し、ここが終点となります。この間、宮の森1-11から3-11までは[宮の森北24条通]と重複しています。
[藻岩山麓通]の概要

[環状通(南19条通)]を西に進み、[環状通]と[白石藻岩通]が交差する西16丁目からなだらかな坂道が始まります。ここが[藻岩山麓通]の始点で少し山手に進むと、道が右と左に分かれ、左に進むと[ロープウエイ山麓駅]や[旧小熊邸]、東本願寺北海御廟などがあり、右に進むと[藻岩山麓通]が続きます。なだらかな坂道が続き、右手下には伏見地区の住宅街が眺望され、左手には、札幌市の[水道記念館]や[伏見稲荷神社]が並び、住宅街には洒落た飲食店が点在して新しい町並みを形成しています。
伏見地区を過ぎると旭ケ丘地区で、旭ケ丘5付近からは藻岩山の登山口にもなつており、リック姿の登山者の姿も行きかっています。この近くから山手に進んだ処に[ちざきバラ園]があり、札幌の観光スポットの一つでしたが2009年10月18日をもって閉園しました。旭ケ丘地区を過ぎると[界川1]で[菊水旭山公園通]と交差し、この道路を西進すると[旭山記念公園]です。[藻岩山麓通]は、界川から双子山、円山西町へと進みます。円山西町2付近からは円山動物園の裏手を迂回することになります。このあたりから眼下の住宅街が途切れ、広大な[円山エリア]が姿を現わします。この林の中には、[北海道神宮][円山公園][円山動物園][円山球場][円山競技場]等があり、その中心となっている[円山]は、標高226メートルの山で、アイヌ人は[モイワ]と呼んでいましたが、明治に入り札幌の中心部から山の形が丸く見えることから[円山]と改称され[モイワ]は現在の藻岩山に引き継がれました。明治の初期当時の判官島義勇が札幌本府(現在の札幌市)建設の構想をこの円山に登って練った事でも知られています。[藻岩山麓通]の円山西町2丁目からは[円山動物園]の外路で道路上からも動物園の施設が姿をあらわしています。この後通は、円山西町から宮の森地区に入り宮の森1-14から左折して北上し宮の森3-11で[北1条宮の沢通]と交差してここが山麓通の終点となります。



写真左図は、藻岩山麓通の始発点で、三叉路を右折すると藻岩山麓通で、左折すると[伏見東緑地][ロープウェイ藻岩山麓駅]から東本願寺北海御廟へと通じます。

伏見東緑地

小熊邸

旧小熊邸は札幌市が選定した[さっぽろ、ふるさと文化百選]にも選ばれた歴史的建造物です。1940年代に建築された住居ですが1998年現在の藻岩の麓に移転し復元されました。現在は喫茶店として活用され、多くのハイカーや観光客が静かな佇まいの中でのテータイムを楽しんでいます。 小熊邸は元北海道帝国大学の教授であった故小熊捍博士の住居でした。小熊博士は北大時代理学部長や低温科学研究所長を勤められ方でフランスから帰国した氏は洒落た住宅を建てるべく北海道では建築の第一人者である田上義也氏に設計を依頼して作られたと言われています。 写真上左図は旧小熊邸の外観でこの建物は屋根が特徴で谷の多い屋根に工夫が凝らされています。写真上右図はテラスです。テラスからは札幌の町並みが一望され、静かな佇まいの中で、ハイキング、ウオーキングの往き帰りに一杯のコーヒを味合いながら、くつろぎの一時を過ごすことが出来ます。

ロープウエイ山麓駅石森文学広場

[旧小熊邸]を出て緩やかな散策路を登って行くと正面にロープウエイの[藻岩山麓駅]が姿を見せます。その手前に[石森文学広場]の案内板があり、この表示に従い原始林の方向に少し歩くと[石森和男さんの詩碑]と[石森延男さんの文学碑]が並立して建立されており、直ぐ側に[吟魂碑]も建てられています。


石森延男さんの文学碑

石森和男さんの詩碑
★石森延男さんは札幌師範学校を卒業ご小学校に勤務していましたが、その後国語教科書編纂官として満州に渡りました。帰国後児童書の執筆に携わり、昭和32年に出版した[コタンの口笛]はベストセラーに輝いています。文学碑は昭和56年に建立されましたが、文学碑には[ふるさとサッポロよ 人も自然も美しくあれ]と刻まれています。(写真左図)
★国文学者で石森延男さんのお父さんの詩碑は昭和33年7月に建立されたものですが、刻字が薄くなり良く読み取れない状態です。詩碑には次の詩が刻まれています。(写真中央)
 われらが愛する北海道
 第一章 第二章
 十一州のしずめなる その山かげをめぐりくる
 ヌタプカムウシベ峰高く 石狩川は底清く
 われらが心をあらわして われらが心をあらわして
 国のも中にそびえたり 大野ケ原を流れたり
★[吟魂碑]には藻岩の四季を詠った詩がきざまれています。作詞は尾角風師さんです。(写真右図)
 藻岩の四季
 白いこぶしや山桜
 春暁覚めて山腰に咲き
 山ろくの花園は陽光に萌え
 生彩の気ちまたにあふる

樹齢300年を誇る[夫婦カツラ]
ロープウエイ山麓駅の正面に鎮座するこの大木の前に案内ボードが設置されていますが、それには次の様に記載されています。
[そもそも2本であった根がいつしか一つになり、厳しい風雪に耐え300年もの間[もいわ]を見守ってきた。[カツラ]の木その名も[夫婦カツラ]が、別名[ガンバリカツラ]と、いつしか藻岩を訪ねる人が呼ぶようになりました。





[札幌市水道記念館]

山麓通から水道記念館へのアクセスロード標識
左図は、水道記念館から藻岩山麓通を俯瞰したものです。坂を下った突きあたりに山麓通りが走っています。道路脇には、右図の様な標識があり、この通りから150メートルとの表示があります。
山麓通りから記念館まではなだらかな坂道が続きます。
札幌市水道記念館は昭和12(1937)年に旧藻岩第一浄水場の建物の一部を活用して、昭和52(1977)年に誕生しましたが、平成19(2007)年中央区伏見4丁目にリニューアルオープンしました。

伏見稲荷神社

伏見稲荷神社伏見稲荷神社から見る街並み

水道記念館から[藻岩山麓通]に戻り北進すると[伏見稲荷神社]です。神社前から眼下を見下ろすと札幌の中心部が俯瞰されます。
写真の中央は札幌駅南口の[JRタワー]で、左サイドの円筒は[札幌プリンスホテル]です。
鳥居の側には、神社の由来書が設置されています。此処には、大山祇命、大国主命、事代主命、天鈿女命の4神が祀られていますが、これらの神々は衣食住の太祖として、五穀豊穣、殖産興業、商売繁盛の守護神として高く崇められています。
この神社は京都の伏見稲荷神社の分神を奉戴して、1884年(明治17年)に都心の南5条東1丁目に奉斉されましたが、1898年(明治31年)には琴似に遷座、更に1909年(明治42年)に現在地に遷座されたものです。この地帯は[伏見]と呼ばれていますが、これは京都本宮に準らえてこのような地名になつたとの事です。 神社の入り口から本殿まで数多くの鳥居が並んでいます。札幌ではこんなに鳥居が続く神社はここ以外にはないと思います。実に壮観な姿です。

伏見稲荷神社

[藻岩山麓通]も[伏見稲荷神社]を過ぎると[旭ケ丘地区]に入ります。路線バス[慈啓会前]の停留所から山手に進むと[観音寺]という大きな寺院がありその先が[藻岩山登山ルート]です。


反対方向は、急な坂道でこの道を進むと伏見地区です。この坂の道路脇には[新清水碑]が建てられています。坂を下ると
[エルムガーデン]があり、近くには[啓明バスターミナル]もあります。


現在の[旭ケ丘]もかっては[温泉山]と呼ばれていた時代もあったそうです。札幌市のウエブサイトには[山すそから鉱泉が湧き出、延命園と言う温泉場があったことから[温泉山]と呼んでいた。近年発展し位置的にも西の高台のため朝日の輝きが素晴らしく、太陽の恵みを受ける絶好の丘として昭和25年7月に[旭ケ丘]と言う名前が付けられた]。と書かれています。写真右は、現在の[旭ケ丘]が[火薬地跡地]であった事を示す地図です。 
現在の[エルムガーデン]と隣の[中国領事館]の場所はかっての[札幌温泉]があった場所です。
所蔵 札幌市公文書館

藻岩山麓通に戻って北進すると山側に[旭が丘高校](下記左図)がありますが、正門前から山麓通に戻ると旭が丘1丁目です(下図右図)。


山麓通はやがて[界川1]で[菊水旭山公園通(札幌パークホテル前の道路)]と交差します。[菊水旭山公園通]は西進して[旭山記念公園]に向かいます。この公園は、札幌市創建百周年を記念し、1970年(昭和46年)に開園した公園です。左図は、公園通から公園の入り口、右図は、公園の展望台からの俯瞰。
菊水旭山公園通

[藻岩山麓通]は、直進して[双子山地区]から[円山西町地区]へと続きます。円山西町3からはなだらかな坂道を山手に進み円山西町4-5を経由して[幌見峠]ですが途中には[円山西町神社]もあります。

円山西町神社[円山西町神社]は、大きな鳥居をくぐると神社の敷地ですが、境内というよりは[緑地]といった趣でかつての原始林がそのまま遺されている、歴史の重みを感じさせてくれる空間です。現在の[円山西町神社]は、1973年(昭和48年)の町名変更で現在名になりましたが、それまでは[滝ノ沢神社]と呼ばれていました。写真は木立の影に静かに佇む神殿です。極めて素朴で質素な造りのなかにも、威厳に溢れた雰囲気を漂わせています。この神社は1895年(明治28年)この地に入植した人々が[大山祇神]を祭神として祀ったのが始まりです。この神殿は、かっての拓殖銀行本店屋上にあつた神殿を譲り受け、あわせて札幌神社(現在の北海道神宮)から分霊を受けて合祀祭神としたものです。現在、祭神としては、大山祇神、大国魂神、大穴牟遅神、少彦名神の4神が祀られています。
眼下に札幌の街並みを眺めながら[藻岩山麓通]を進むと円山西町2あたりから視界が遮られ[円山動物園]の外周が続きます。[宮ケ丘]からは動物園の外周から離れ左折して進と[宮の森1-14]で十字路となり、西に進むと盤渓峠に通ずる途中[大倉山競技場入り口]から大倉シャンツエへ向かいます。
大倉ジャンプ競技場ジャンプ台からの眺望

一方[藻岩山麓通]は、右折して[宮の森北24条通]重複して[宮の森3-11]まで続きますが、このエリアには[宮の森緑地]や[本郷 新記念美術館]等があります。

太陽の母子鳥を抱く女[宮の森緑地]は、海抜85メートルの小高い丘で、この丘を越えると直ぐそばが記念館です。
静かな木陰に佇むのは本郷 新の彫像です。写真左が[太陽の母子]像、右が[鳥を抱く女]です。

本郷 新 記念札幌彫刻美術館

本郷 新祈念彫刻美術館
宮の森4条12丁目の[本郷 新記念彫刻美術館]は、北海道が生んだ彫刻家本郷新さんが生前(1977年)に建てたアトリエギャラリーを記念館とし、隣接地に本館を建設し1981年6月29日に札幌彫刻美術館としてオープンしましたが、2007年に名称を
「本郷新記念札幌彫刻美術館」に改称して現在に至ってます。宮の森の丘陵地帯に建てられた美術館の野外には、本郷作品の数々が配置され、記念館の館内展示とは対照的にスケールの大きい芸術的空間を醸し出しています。
詳しくは[本郷 新記念彫刻美術館]のホームページをご参照ください。

[本郷 新記念彫刻美術館]


横たわるトルソー


きけわだつみのこえ

裸婦

ライラック像のトルソー

男のトルソー