北三条通(通称開拓使通)

[北3条通の歴史]
北3条通の永山邸歩道側に掲示されています

北3条通の歴史
案内ボードには大凡次のように書かれています。

[北3条通は、古い歴史を持つ街路です。明治初期北海道開拓使(現道庁正門)を起点とするこの通は[札幌通]と呼ばれ、重要な位置を占めていました。北3条通を軸とした市街地形成の歴史は古く、明治21年に落成した道庁赤レンガ庁舎を始め、北大の前身札幌農学校、開拓使の官営事業であった紡績場、製網場、味噌製造所、麦酒醸造所、葡萄酒醸造所などが立ち並んでいました。また、札幌で最初の総合病院であった札幌病院、第二代北海道庁長官永山武四郎の邸宅などもあり、大正時代は市電も敷設されています。これらの事から当時から重要な広域幹線だった事がうかがえます]。


[北三条通]は、通称[開拓使通]と呼ばれ、この通には開拓使時代の遺産が多く遺されています。この開拓に大きな力を発揮したのが[ホーレス・ケプロン]でした。
ホーレス・ケプロンは1871年に開拓使顧問として来日し、日本滞在の3年10ケ月の間に北海道開拓に関する様々な活動に取り組んだ方です。かってこの北3条通りには市電も走り、札幌の産業の中心となったビール工場を始め醸造、製菓など多くの工場があり、産業の街としても発展を続けたエリアです。開拓使時代は[札幌通]と呼ばれていました。今回の構想は道庁赤レンガ広場から永山武四郎記念公園までの約1キロにこの通りの名前を付けようとするものです。札幌も年々都市化して昔の面影が全く感じられない大都市となりましたが、先人の苦労を偲び今日の発展の基礎を築いた功績を忘れない事はこれからも大変大切な事だと思います。
所蔵 北大付属図書館 原写真所蔵

北海道庁正門

[大正13年(1924年)、北海道庁正門から駅前通の117,27メートルを歩道と車道に区分して舗装が行われました。歩道はアスフアルト、車道は木塊(木レンガ)を施しました。木塊は、縦5寸8(約15センチ)、横3寸(約9センチ)、厚さ2寸5分(約8,5センチ)のブナ材を用い、クレオソート油にコールタールを混ぜた防腐剤を注入していました。これが札幌で初めての舗装道路です。]

平成26年9月北海道庁正門から駅前通間での改修が終わり、イベントなど多目的の広場がオープンしました。[北3条広場]で、愛称が[[アカプラ]と決まりオープン以来様々なイベントが連日繰り広げられています。

この碑は、2014年9月オープンした北3条広場の一隅に設置されています。案内ボードには凡そ次の様に書かれています[大正時代には、北海道でも都市の近代化が進み、道内各地で道路の舗装が始まりました。この市道北3条線(当時は国道4号)では大正13年(1924年)に道庁赤レンガ庁舎前から札幌駅前通までの117.27mを、歩道と車道に区分して舗装を行いました。歩道はアスフアルト、車道には木塊(木製レンガ)を施しています。木塊は道南地方のブナ材から長さ15cm、幅9cm、厚さ8.5cmのものを採り、クレオソート油にコールタールを混ぜた防腐剤を注入しています。これは札幌ではじめての道路舗装ですが、木塊が膨れ浮き上がってしまったため昭和5年(1930年)にこの木塊舗装の上をアスフアルトでかぶせました。その後補修を加えましたが、大部分の木塊は保存されたまま車道として使われました。平成26年に歩行空間として整備した北3条広場は、前年に広場内の幅10m延長約80mの範囲に残る木塊を保全しその上をレンガで舗装しています]。


道庁正門から駅前通までのロケーションも一変しました。日本生命ビルの竣工によって左サイドにゆったりとした空間ができました。

また、右サイドは、[札幌三井JPビルディング]が完成し、[赤レンガテラス]もオープンしました。道庁を展望できる展望室や様々なグルメのテナントもオープンして大きな話題を呼んでいます。



北3条広場から札幌駅前通を挟んで東側には開拓史時代の遺産がそこかしこに遺されています。

[札幌農学校演武場跡]

[札幌農学校演武場跡碑]です。かって演武場のあった跡地のビル内にありましたが、2010年に北2条西2丁目の歩道脇に移転して設 置されています。[札幌農学校演武場]は、日本最初の農業高等専門学校として明治9年8月にクラーク博士を初代教頭に迎えて開校した札幌農学校の演武場で、この演武場が完成したのが明治11年10月16日です。

[旧福山商店]
北3条通を更に東に進むと東3丁目の一角にある建物が、 現在の福山醸造の前身である[旧福山商店]です。
ビルの入り口に[さっぽろ・ふるさと文化百選 旧 福山商店]の表示板がありここには次の様に書かれています[明治24 年(1891年)に創業し、味噌や醤油の醸造を始めた福山商店の店舗として建てられた。同商店の醤油は、明治・大正時代にか
け道内一の販売量を占めていた。建物は、寄棟屋根のまとまりのある形態で、アーチ型の玄関と窓が特徴的である。明治期 の赤レンガの商店としては数少ない一つである]。北3条通を挟んで真向かいには、かってのサッポロビールの工場であった歴史的な建物が林立しています。

[サッポロフアクトリー]
写真下左図は、現在の[サッポロフアクトリーレンガ館]、下右図は、かっての[札幌開拓使麦酒醸造所]の保存建物です。サッポロフアクトリーは、サッポロビールのルーツである「開拓使麦酒醸造所」が開業した場所ですが、麦酒工場閉鎖後1993年4月に「サッポロファクトリー」として開業しました。



写真下図は、2条館と3条館の間の全天候型の吹き抜けアトリウムです。

フアクトリーの内部フアクトリー

[永山記念公園]
写真下図は、旧永山武四郎邸です。[永山邸]はかって第2代の北海道庁長官を務めた永山武四郎が屯田事務局長時代の明治13年頃私邸として建築されたものです。現在は札幌の観光スポットとして脚光を浴びているサツポロフアクトリーに隣接していますが、この界隈は[開拓通]と呼ばれ、色々な産業施設があった場所です。邸宅の周りは記念公園として整備され静かな佇まいの中にひっそりとした姿を見せています。



永山記念公園

[札幌厚生病院]
永山記念公園を過ぎ東に進む北3条東8丁目にあるのが札幌厚生病院正式には[JA北海道厚生連札幌厚生病院]です。この病院は昭和18年3月に開設され当初は現在の北海道庁の裏手にありましたが、平成6年10月現在地に移転し総合病院としての役割を果たしています。JR函館本線が直ぐ側を走行しています。

[JR苗穂駅]
JR苗穂駅前が北3条通の終点です。JR苗穂駅は東13丁目で、ここからは[平和通]となります。JR苗穂駅前を更に東に進むと豊平川に架かる[平和大橋]を渡り平和通の終点北広島市まで続きます。