開拓使の街造りと創成橋

1869年(明治2年)開拓使は、札幌に本府を建設しましたが、当時の判官島義勇は札幌の基点を[大友堀]の岸(創成橋付近)に定めて街造りに着手しました。

当初の創成橋 この橋は、1869年(明治2年)架けられた橋で、当時としては珍しい石造りの橋でした。後方に見えるのが開拓使の[本陣]です。創成橋は、札幌市内では最古の橋です。

所蔵 北大付属図書館

現在の創成橋(2011年3月に新しい創成橋が竣工しましたので、この写真はそれ以前のものです)。
現在の[創成橋]は札幌のショツピング街の中心である南1条に架かつています。かつては札幌の市街はこの創成橋の東たもとを基点として、その東側には堀と平行して[東創成通]、これと直角に円山方面に向けて[渡島通]が設けられました。渡島通は現在の南1条通で、創成川の開通でこの一帯が商店街として繁栄する礎を作ったものです。この橋も当初は[佐宇勢以橋]と呼ばれていましたが、そのご[創成橋]に改称されたようです。現在の創成橋の近くは商店街、大通公園、二条市場、狸小路など街の中心として大きな発展を遂げています。


南1条通と創成橋


現在の橋は明治43年に建設されたものですが、下部の構造はモダンなアーチ型で上部には純日本風の美しいデザインが施されています。又、両側の高欄には擬宝珠が取り付けられていました。擬宝珠は江戸時代は藩主のみが橋につけることを許されていたという格式の高いものでした。現在の擬宝珠は昭和53年に復元されたものです。

この交番は、札幌発祥の地とも言うべき札幌創成橋の脇にあつたものです。1885年(明治18年)最初に設置された交番は木造で[札幌創成橋交番]と呼ばれていましたが、後年このような赤レンガの瀟洒な交番に変わりました。当時としてはユニークな交番で、交番の前を市電も走り、大変な評判を呼び長い間札幌の歴史を見続けてきた由緒ある交番です。


[札幌の建設の地]碑


南1条の創成橋と西側道路を挟んだ一角に[札幌建設の地]碑があります。写真中央の台座には次の様に記されています[この地は銭函から千歳に抜ける道と藻岩山麓をまわり篠路に行く道路の交差点にあたり、明治2年11月10日開拓判官島義勇、石狩大府の建設をこの地から始めた。現在の札幌はこの付近を基点として発達したものである]。
(註)この碑は、2011.3月創成川公園造成に伴い創成橋に移設されました。

新しく竣工した[創成橋(2011.3月)

数年にわたる創成川改修工事が平成23年(2011年)3月終わり、創成川には新しく[創成川公園]も造成され、装いも新たに4月1日、公園がオープンしました。

[創成橋]も新しく竣工し、創成橋を中心に歴史の面影を残す像ゃ碑なども設置されて[歴史の広場]と命名されました。

改修工事のため旧札幌村の郷土記念館に移されていた[大友亀太郎像]も再びゆかりの創成川に戻ってきました。

明治6年に定められた北海道の道路の始点を定めた[北海道里程元標]で、今回再建されて創成橋に建立されました。この元標も現在は[北海道道路元標]と変り、現在は北海道庁正門前に建立されています。

かつては、創成橋の西北のビルの一角にありましたが、今回は創成橋の袂に移されました。