[大友公園]は、大友亀太郎が慶応3年(1867年)拓いた模範農場[御手作場]跡に作られた公園です。ここは御手作場に水を引く為に掘られた[大友堀]が伏篭川に注いだ場所です。郷土記念館や本龍寺にも近く、大友堀に心血を注いだ大友亀太郎の偉業に改めて感服させられます。
現在の札幌市東区のルーツは、今回紹介する大友亀太郎によつて開拓の鍬が入れられた[札幌村]で札幌の歴史はここから始まったと言っても過言ではありません。そういう意味で[大友公園]は、自然環境というよりも歴史的な意味合いを持った公園と言うことが出来ます。
下図は公園の入り口に掲示されている[公園案内図]です。中央に地図の広場があります。[地図の広場]は[大友堀]の全体像が一目でわかるように描かれています。この地図の広場に繋がって、大友堀を再現した小川があります。
左図は公園入り口に設置されている[歴史解説板]です。このパネルは大友堀の全貌を記した地図です。当時としては大事業だつたことがよくわかります。
青枠で囲ったのが札幌市中央部から続く[大友堀(現在の創成川)]で、赤○が[大友公園]です。ここから送水路を通って[伏籠川]に注入されました。
[大友亀太郎]が計画した用水路は、豊平川の支流から水を引き、現在の南3条東1丁目から真っ直ぐ北に延び、北6条東1丁目から北東に進路を変えて、彼の作った[御手作場]に流すもので、現在の[大友公園]あたりで[旧伏古川]に注いでいました。写真は、用水路の全体図ですがこの長さは約4㎞で大きさは[深さ]が約1㍍50㌢で巾は1㍍80㌢ありました。この工事は当時としては大工事で、人々は[百万両の大工事]と呼んでいたそうです。完成後、大友亀太郎に因んで[大友堀]と呼ばれる様になりましたが、この堀が農業面ばかりでなく、運送路としても利用されていました。この堀を使って札幌市内への物資が運ばれていました。現在はこの堀の下流は埋め立てられ道路に替わっていますが、南3条から北6条付近までは[創成川]としてその姿を留めています。
大友亀太郎と大友堀
札幌の都市造りの基となった[大友堀]で知られる、大友亀太郎(おおどもかめたろう)は、1834年(天保5年)相模国(現在の神奈川県)下足柄郡西大友村の農家に生まれました。20才代には二宮金次郎にも師事していました。1858年(安政5年)亀太郎は箱館在住を命ぜられ、箱館に近い木古内村や大野村に農民を迎かえ入れて8年間にわたり村造りに努力しました。その後1866年(慶応2年)石狩地方の開拓を命ぜられ、元村(現在の東区元町)一帯を選定して開発を進める事となりました。左の写真 所蔵 北大付属図書館
2013年改装なった創成川には中心部に[創成川公園]も造営されました。創成橋の袂には大友亀太郎の像も戻つてきました。右図 大友亀太郎像
札幌の中心部を流れる創成川です。創成川は、1866年(慶応2年)大友亀太郎によって開削された掘り割り(大友堀)を明治に入ってから現在の北6条あたりから篠路方面まで通じた運河です。当初大友亀太郎が計画した用水路は、豊平川の支流から水を引き、現在の南3条東1丁目から真っ直ぐに北に延び、北6条東1丁目から進路を変えて彼の作った[御手作場]に流すものでした。(大正時代に入り北6条以東の旧大友堀の下流部が埋め立てられたました)。
写真左図は[大友堀]が流れる当時の姿です(南3条から北6条を流れる現在の創成川)。今では想像も出来ない原野の中に[大友堀]が作られたのです。この創成川がその後開拓使の時代には札幌の街造りに大きな役割を果たすことになり、現在の札幌市の東西に分ける基準線になっています。右図も北6条以東の[大友堀]です
写真左 所蔵 札幌市公文書館 写真右 所蔵 北大付属図書館
大友亀太郎縁の旧札幌村
現在の[札幌村郷土記念館]のある場所はは、かっては大友亀太郎の役宅があった場所です。
かってはここに村役場があったそうですが、往事の原野とはうつて変つて現在は地下鉄東豊線[環状東駅]を降りるとすぐ近くの住宅地の真ん中にあります。展示室は1階と2階にあり、札幌村のタマネギ栽培に関する資料や、大友亀太郎の資料などが多く展示されています。
地下鉄東豊線の環状通東駅を降りて程なくの処にかつての大友亀太郎の本拠地があります。その一つが本龍寺です。どつしりとした風格のある山門をくぐると左図の[妙見堂]があります。妙見堂です。慶応4年(1868年)に建立されたもので、ここには[妙見大菩薩像]が奉安されています。
山門の入り口に[札幌妙見さまの由来]が書かれた案内ボードがあります。ここには概略次の様に記されています。[当山の妙見堂に奉安する妙見大菩薩の尊像は、右手に金の剣を持つ高さ約2寸の小さな木造で[札幌きりひらき]の二恩人と仰がれる開拓幕史大友亀太郎翁と初代開拓使島義勇判官が、札幌創建の心願成就を祈願した尊い開拓開運の守護神です。大友亀太郎は開拓の激務、心労の為病魔に倒れるも島判官の兜の八幡座に安置されていたこの妙見大菩薩を信仰し、眼病はもとより病気平癒し身体健全、開拓成就の利益を賜った。]。