安達喜幸

プロフイール

現存する札幌を代表する歴史的建造物としてお馴染みの[時計台][豊平館][北大第二農場]は、いずれも開拓使時代の建物ですが、これらの設計の中心的な役割を果たしたのが当時の工業局営繕課の御用係安達喜幸(あだちこうき)です。安達は1827年(文政10年)江戸で生まれその後1871年(明治4年)8月には、44才で抜擢されて工部省会計局営繕方付属を命ぜられました。このセクシヨンは政府の建設工事を担当する部局てしたが、同時期北海道にも開拓使が置かれ洋風建築を進めるため請われて開拓使に転じています。開拓使が進めた札幌本庁舎を始め豊平館、北大の模範家畜房などは安達の力に負うところが大きなものがありました。このように札幌における明治の建築を語るとき忘れられないのは安達喜幸で、現在の札幌の都市景観に大きな影響を与えた先人の一人です。

札幌農学校演武場(時計台)



現在の札幌時計台の前身は、日本最初の農業高等専門学校として明治9年8月にクラーク博士を初代教頭に迎えて開校した札幌農学校の演武場です。この演武場が完成したのが明治11年10月16日です。当初は、屋上に1.8メートル角の頂塔が設けられ内部に授業時間を知らせる鐘が設置されていましたが、13年にこの頂塔が時計塔に変わりました。この時計台に設置されている時計塔は明治14年に米国ボストン市ハワード時計会社製の時打ち重鐘式の大時計を備えています。8月12日の正式鳴鐘以来現在も往事のまま時を告げています。まさに時計台の鐘は札幌のシンボルです。

豊平館の建設

豊平館の建設完成後の豊平館

豊平館は開拓使が洋風ホテルとして1879年(明治12年)1月着工し、翌80年11月完成しました。この建物は、開拓使札幌本庁舎と並ぶ開拓使の代表作品ですが、この建築に当たっても主要な設計は安達が担当したものです。当初は北1条西1丁目に建設されましたが、1958年(昭和33年)新しい市民会館建設のため中島公園に移転しています。豊平館最初の宿泊客となつたのは明治天皇で札幌行幸に際し1881年(明治14年)8月30日から9月2日まで行在所に用いられました。
(所蔵 北大付属図書館)
現在の豊平館
中島公園に移転した現在の豊平館です。現在は國の重要文化財に指定されていますが、外壁を縁取る美しいウルトラマリンブルーは、創建当時の姿をそのまま留めています。




モデルバーン(模範家畜房)

モデルバーンの模範家畜房この建物は、モデルバーン(模範家畜房)と呼ばれているものです。クラーク博士がアメリカマサチューセツッ農科大学農園の家畜房にならって、明治9年(1876年)建設した物で、この設計に当たったのが安達喜幸でした。この建物は牛馬舎で当時は46頭の成牛が飼育されていました。この2階は乾草の貯蔵庫として使用されていました。モデルバーンは、我が国では最古の洋式農業建築として建築学的にも大変貴重なものです。当初は現北大正門付近にありましたが、明治42年から44年にかけて現在地に移転しました。

開拓使本庁舎

上棟式開拓使は、北海道の気候風土を勘案して欧化政策を採用し、建築物にも洋風建築が多く取り入れられました。これらの設計に当たったのが安達喜幸等の技師スタッフでした。開拓使の最初の事業は本庁舎の建築でしたが1872年(明治5年)建設に着手し、翌73年10月落成しました。木造2階建ての洋風造りで屋上に八角塔が設置されています。写真は建物の上棟式の様子です。
(所蔵 北大付属図書館)

完成図開拓使本庁舎の完成図です。
所蔵 (北大付属図書館)