上田万平と善七

プロフイール

圓山村開村碑上田万平顕彰碑 伏見稲荷神社上田善七碑

現在の札幌市中央区円山地区は、円山の裾野に広がる自然豊かな住宅地として大きく発展を遂げていますが、この円山開拓の祖として名を留めているのが上田万平(まんぺい)・弟善七(ぜんしち)の二人の先人です。兄の万平は、1841年(天保12年)現在の盛岡市加賀野に生まれました。万平は彼が31才の1871年(明治4年)4月に弟の善七と共に、庚午三の村(その後円山村に改称)に入植しました。円山村は、開拓使が札幌本府の建設に当たり食糧を供給するために開かれた村です。上田兄弟は、円山地区の農業の発展に大なる貢献を果たしたばかりでなく、地域の発展にも様々な面で大きな功績を遺しています。このため地域内には二人を顕彰する碑が建てられ、今も円山開発の先人として崇められているのです。
現在の円山地区は、札幌山の手の住宅街としても大きく発展しましたが、この地には、1870年(明治3年)酒田県(現在の山形県)から30戸、90人が入植したのが始まりです。[圓山開村記念碑](上左図)は開村20年を記念して1890年(明治23年)に建立されましたが、その後1928年(昭和3年)8月、円山公会堂(現在の円山会館)の前庭に移設されています。大きさは、高さ2.4メートル、幅1メートルの天然石で出来ています。開村当時の円山は、明治3年が庚牛の年であったことに因み[庚牛三の村]と命名されていましたが、明治4年、岩村開拓判官によって[円山]と改名されました。
[圓山開村記念碑](上左図)  [善徳翁]碑(上中央図) 上田善七の碑(上右図)

上田万平
伏見稲荷神社の境内には兄の万平の碑(上中央図)が建立されています。
所蔵 札幌市公文書館[北海道十字之光]より転載



上田兄弟と札幌神社(現北海道神宮)

札幌神社(現北海道神宮)現在の北海道神宮は、1869年(明治2年)開拓の三神が島義勇によって北海道に渡り同70年仮社殿に祀られましたが、1871年(明治4年)9月現在の圓山に移されて仮本殿が造営され[札幌神社]と社名が決まりました。その後1964年(昭和39年)北海道神宮と改められ現在に至っています。上田兄弟は、札幌神社創設以来物心両面からの奉仕活動を続け、今日の北海道神宮の基礎を築いた功労者として高く評価されています。左の写真は最初の札幌神社です。
所蔵 北大付属図書館

上田兄弟と[円山]

円山の山神
開拓使時代の産業として[札幌軟石]の採掘は有名で、市内南地区の藻岩は採掘場として名が知られていますが、札幌を代表する[円山]も藻岩地区以前には石材の採掘が行われていました。1872年(明治5年)開拓使が開拓使本庁舎建設に用いる石材を円山の頂上付近で発見し採掘が行われ、そのために山肌が削られ岩石が露出しました。このため開拓使は樹木の伐採を禁じ石才の採掘も中止される様になりました。上田万平は信仰心が厚くこれらの事柄に大変危惧して円山の山頂に[山神]を祀りました。(この画像は、円山在住のJ・sanoさんが撮影したものです)。

天然記念物[円山]

円山原始林碑八十八ヶ 所のお地蔵さん
[円山]は、標高226メートルの山で開拓使島義勇等は札幌本府の建設に当たりこの山から街造りの構想を練った謂われがあり、天然記念物にも指定されている山です。上田兄弟によつて、1914年(大正3年)登山道が整備されましたが、四国の八十八ヶ所に因んで山道に沿って八十八体の観音像が配置されています。上田兄弟は、この円山には北海道神宮もあり、登山道を観光という面よりは信仰という面を意識して整備したのです。円山原生林から登る約1.0キロのコースは、心を癒す信仰の道でもあります。