大滝甚太郎

プロフイール

道都札幌の経済・商業面で重要な役割を果たしている、札幌商工会議所の歴史の中で多くの功績を遺した一人が、大滝甚太郎(おおたけじんたろう)です。大滝甚太郎は、1865年(慶応元年)10月、新潟県岩船郡北中で生まれました。甚太郎は、15才で北海道に渡り父の経営していた酒屋で手伝いながら夜学に通い勉学に励んでいました。その後木材業に転向し業績を伸ばしましたが、彼は札幌商工会議所の第五・第七会頭を勤め札商発展に尽くした中興の祖として崇められています。その他にも札幌グランドホテルの建設、放送局の開設などにも大きな功績を遺されています。甚太郎は、1940年(昭和15年)4月26日死去されました。
 所蔵 札幌市公文書館[喜久の薫]より転載

札幌商工会議所の発展に尽くした大滝甚太郎

現在の経済センター現在の札幌商工会議所は、北1条西2丁目の北海道経済センターの中にあります。現在の商工会議所は、1891年(明治24年)実業家の親睦機関としての[札幌商業倶楽部]が前身で、これが発展して札幌商業会議所として活動してきましたが、1928年(昭和3年)から新しい法に基づいて現在の名前に改められました。大滝甚太郎は、大正から昭和にかけて第五・七代の会頭として敏腕を振るい商工業の発展に様々の施策を行っています。
札幌商工会議所の前身である[札幌商業倶楽部]の建物。
所蔵 札幌市公文書館

札幌グランドホテルの誕生

初代の札幌グランドホテル現在の札幌グランドホテル
札幌に近代的なホテルが生まれたのは、1934年(昭和9年)竣工した札幌グランドホテル(写真左図)が最初です。大滝甚太郎は、札幌にも近代ホテルの必要性を痛感してホテルの建設に着手しました。1934年12月には、工費57万3千円を投じた五階建てのホテルがお目見えしましたが、その資金の多くは彼の力で導入した本州資本でした。このホテルの一角にかっての札幌商工会議所がありました。札幌駅の近く、道庁前庭を挟んだ場所に現在の札幌グランドホテルがあります(写真右図)。数多いホテルの中でもこのホテルは老舗中の老舗として大きな存在感を見せています。このホテル内の記念資料室には、北海道の開発の歴史に関わる貴重な資料が多数展示されています。大滝甚太郎の将来を見据えた大きな構想が実を結んだ歴史の一つの証でもあります。

NHK札幌放送局の開局と札幌商工会議所

写真は、旧NHK札幌放送局舎です。NHK札幌放送局は、1928年(昭和3年)6月5日、北海道で最初のラジオ電波を発射しました。このNHKが札幌に設置されるには当時の札幌商工会議所の果たした力が大きく寄与しています。大滝会頭は率先して日本放送協会北海道支部の設立に尽力され、支部長として活躍すべく会頭職を辞して、放送局敷地の選定から局舎の建設などに奔走されたのです。かってのNHKの演奏所は中島公園にありましたが、現在は大通西1丁目に放送会館が出来移転しています。旧演奏所後には記念碑が建てられていますが、現在の民放を含めた北海道の放送メデイアの源流を築いたのは大滝甚太郎といっても過言ではありません。
所蔵 札幌市公文書館[新しい札幌]より転載