当時の兵屋は、間口10間、奥行15間で地積は150坪でした。この兵屋(写真右図)は、現在琴似神社境内に保存されていますが、この近くにももう1軒保存されています。(写真左図は、兵屋跡碑)いずれの兵屋も中央が居間兼台所で8畳と4.5畳の二間がありますが、冬期間は寒さが厳しい生活環境を虐げられました。
屯田兵は、兵屋の周りに5千坪の未開地が与えられましたが、これが飛び地で自宅より遠くは4キロ以上も離れた場所にありました。倫彦は、自宅と耕作地を纏めて耕作の不便と非効率を解消するため兵屋の分散化のため大変な努力を払いました。彼の努力により土地分合の大事業は解決し、兵屋の三分の二が移転して、屯田兵村は、広々とした田畑に農家が点在するロケーシヨンができあがり、農村としての発展が急速に進められる事となりました。
所蔵 北大付属図書館
農試公園(旧北海道農業試験場)
写真は、琴似にある農試公園です。この場所にはかつて農林省北海道農業試験場があつた処です。我孫子倫彦は、日露戦争没発と共に応召しましたが、帰還後、試験場の技手として果樹や種苗の育成と普及を担当し、この道でも大きな業績を残しています。彼は1943年(昭和18年)84才で亡くなりましたが、生涯の殆どを琴似で過ごし、琴似兵村の開村から明治・大正・昭和の初期に至る琴似の発展を見続けた琴似を築いた先人の一人でありました。