サラ・クララ・スミス

プロフイール

現在の北星学園の創立者サラ・クララ・スミスは、1851年、アメリカニューヨーク州エルマイラ市で生まれました。ブロツクボルト州立師範学校に学び、卒業後はフランス・ドイツに留学後、1880年東京新栄女学校の教師として招聘されすぐれた業績が認められて校長に昇進しましたが、病魔に襲われ医師から帰国を命ぜられましたが、日本のために奉仕しようとする強い意志で郷里と同じ気象条件の北海道に渡り病を癒す事を決意しました。このあとスミスは北海道における女子教育の先駆者として大きな功績を遺したのです。所蔵 札幌市公文書館

北星女学校の創設

1886年(明治19年)12月、札幌師範学校が英語の教師を求めてきたのでスミスは塾を開くことを条件にこれに応じました。最初の塾は、1887年(明治20年)1月15日、北海道庁近くの札幌尋常師範学校の官舎にあった馬小屋を改造したものです。開塾1年目に生徒が40名を超えたので当時の開拓使岩村通俊は2階建ての校舎を新築して無料で貸与しました。この私塾は1989年には[スミス女学校]として正式に許可がおりスタートしました。その後1894年に北4条西1丁目に移転し校名も[北星女学校]となりました。[北星]は、新渡戸稲造が命名したと言われています。現在地の南4条西17丁目に新校舎が落成し移転したのは1929年(昭和4年)です。
写真左図は、最初の塾で、右図は、移転した[北星女学校]です。所蔵 北星学園
スミスが塾を開いた当時の札幌停車場周辺には、北海道庁、札幌農学校、演武場、豊平館などがありました。上左の写真は明治20年当時の[偕楽園]の様子で、右図は新しく竣工した道庁本庁舎屋上から撮影した20年当時の札幌区全区のパノラマ写真の一部です。いずれも所蔵 北大付属図書館。

北星学園創立百周年記念館

この建物は、現在の北星女子中学・高校の校舎に囲まれた中庭に建つ[北星学園創立百周年記念館(上右図)]ですが、かつては婦人宣教師の住居でした。平成元年に創立百年を記念して移転改修が行われ、外側の色も昔の姿に復元されています。1992年(平成4年)4月には記念館としてオープンしました。この由緒ある建物は、さっぽろふるさと文化百選にも選定されていますが、1998年には國の[登録有形文化財]にも指定されました。

ライラックの木
記念館の前の中庭に植えられている[ライラツク]です。1890年(明治23年)創立者のサラ・クララ・スミスが故郷のアメリカエルマイラから持ち帰ったものが我が国でのライラツクの最初だと言われています。この苗木は、スミスの自宅と当時の北大植物園に植えられましたが、戦中は敵国の木として殆ど伐採されましたが、1994年植物園に残されていた木を現在地に移植しました。木の手前にこの経緯が記されています。