プロフイール
初代の札幌市長高岡直吉の後を引き継いだのが橋本正治(はしもとまさはる)です。橋本正治は、1873年(明治6年)福井県で生まれ東京大学を卒業後各県に奉職した後1910年(明治43年)北海道庁勧業部長に就任しました。その後は優れた行政手腕が認められて鹿児島、山口の県知事となりましたが、昭和2年12月16日札幌市の要請を受けて札幌市長に迎えられました。9年5ヶ月にわたる市長在任中は、上下水道の基盤整備を始め幾多の施策を遺し市長としての名声を博しました。1956年(昭和31年)10月8日、札幌名誉市民として84才の生涯を終えました。
所蔵 札幌市公文書館[札幌之人]より転載
新市役所本庁舎の落成
札幌市役所本庁舎は、区役所時代の木造の建物を使用していましたが、1934年(昭和9年)新庁舎建設に着手し、同37年(昭和12年)3月に新庁舎が落成しました。現在札幌グランドホテルの北1条側に建てられました。
所蔵 札幌市公文書館[札幌市写真 帳]より転載
橋本市長が進めた上下水道事業
橋本市長は、1937年(昭和12年)5月26日多くの市民に惜しまれつつ市長を退きましたが、在任中の一大事業であった上下水道事業は、今日の札幌市の近代化を急速に進めた原動力となりました。写真上左図(水道記念館展示パネルより転載)は、かつての藻岩浄水場ですが、この跡地に水道記念館(写真上右図)が建てられています。
写真上左図は、橋本市長の彫像です。この彫像は、記念館を見下ろす高台(写真上右図)に建立されています。
橋本市長はこの他にも交通面では、市営バスの経営に乗り出し1930年(昭和5年)から運行を開始しました。この事によつて前市長時代にスタートした市営電車と相まって札幌の交通事業は大きく前進することとなりました。
都市基盤の整備が進む札幌の町並み
都市基盤の整備と共に町並みも年々発展の一途を辿りつつありました。写真は1935年(昭和10年)当時の大通公園の様子です。橋本正治が市長に就任した昭和2年から退任した昭和12年の間に札幌の人口は15万人から20万人に増え近代都市としての形が急速に作り上げられつつありました。この時代大通公園の東端にあった[望楼]は、テレビ塔もない時代の札幌のシンボル的存在でもありました。所蔵 北大付属図書館
札幌のランドマーク[望楼]
写真は、1927年(昭和2年)完成した[望楼]です。当時は高層ビルもなく、この望楼から札幌全市が監視出来た時代でした。テレビ塔もない時代、この望楼は札幌のランドマークとしての役割を果たしていました。南大通の創成川河畔にあり、高さが43メートルのエレベーター付の建物でした。この望楼建設を積極的に推進したのが向井次郎で、1927年(昭和2年)10月竣工しました。
所蔵 札幌市公文書館