宮部金吾

プロフイール

植物博士として、又、北大植物園生みの親として良く知られている、宮部金吾(みやべきんご)は、学者としてのみならず札幌市発展の功労者として1924年(昭和24年)7月10日、札幌市名誉市民第一号の称号が贈られています。宮部金吾は、1860年(万延元年)江戸で生まれ、1881年(明治14年)札幌農学校を卒業、2年間東京大学に派遣され、帰校後は札幌農学校の助教授を拝命し、植物園の開設を命ぜられています。博士は、生涯を植物の研究に捧げられましたが、敬虔なクリスチャンとして札幌独立教会を創立しその維持発展にも尽力を尽くされました。1947年(昭和22年)3月16日、満90才で他界されました。所蔵 北大付属図書館

宮部金吾記念館

宮部金吾記念館
植物園の園内にある[宮部金吾記念館]です。この建物は、1901年(明治34年)建てられたもので、当初は農学校キヤンパスで動植物学講堂として使用されていましたが、1942年(昭和17年)建物の東半分を移築したものです。植物園では庁舎として使用されていましたが、1991年に北側半分を取り壊して記念館としてオープンしました。館内には、宮部博士に纏わる資料が豊富に展示され、資料を通じて農学校以来の歴史の一端に触れる事が出来ます。
博物館この建物も歴史的文化財で現在は[博物館]として使われていますがかつての[札幌博物場]です。この博物場は開拓使の所管でしたが、1884年(明治17年)に札幌農学校に移管されたのを機会にこの場所に[北大植物園]が誕生しました。

宮部博士と植物園

北大植物園現在の植物園は、およそ13万3千uの敷地の中に4,000種の植物を栽培・分類して生態的展示を行っています。北大植物園は札幌の自然の歴史を語り続ける博物館的な存在です。この植物園が生まれるきつかけとなつたのは、クラーク博士の提言に基づくもので、札幌農学校は所有する温室とその付属地など(現在の中央区北4条東1丁目付近)を合わせて植物園を設立することとし、1880年頃(明治13年頃)には、北海道産の樹木70種ほどの移植を行っています。1883年(明治16年)、農学校の助教授となつた宮部博士は新しく植物園の設立計画責任者となり設立に着手しました。その後1884年(明治17年)博物場及び付属地約15,000坪が植物園用地として農学校に移管され、ここに現在の植物園が誕生することとなりました。1900年(明治33年)には、宮部博士が初代園長に就任し、1927年(昭和2年)二代目園長伊藤誠哉教授が就任するまで園の整備拡充に心血を注がれたのです。写真は、今も残されている園内の湿地ゾーンです。

歴史的遺産としての[植物園]

北大植物園の芝生
遠くに見えるのは、宮部金吾記念館です。記念館から奥に進むと広い芝生が広がつています。この芝生を進むと様々な樹木が保存されている樹木園、灌木園、草本分科園など、自然美溢れた光景が展開されます。大都会の中心地にこのような自然が残されていることは札幌市民にとっても貴重な財産です。宮部博士はじめ先人達の先見性に改めて深い敬意を表せずにはいられません。