山田幸太郎

プロフイール

豊平川と藻岩山に挟まれた札幌市南18条の一角に、北海道札幌南高校があります。かつては[札幌一中]と呼ばれた名門校ですが、長きにわたりこの学校の校長を務められ教育界の先人として崇められているのが、山田幸太郎(やまだこうたろう)です。幸太郎は1871年(明治4年)金沢で生まれました。札幌には1880年(明治13年)移住して山鼻村に入植しました。1894年(明治27年)札幌農学校を卒業後は各地の中学で教鞭をとっていましたが、1908年(明治41年)札幌中学校長に任命され、以降1937年(昭和12年)まで一貫してこの学校で務められ、同校を道内第一の名門校に引き上げた手腕は高く評価されています。幸太郎は、1954年(昭和29年)8月、84才の生涯を終えました。 所蔵 北大付属図書館
幸太郎が校長に任命された札幌で最初の中学校[札幌中学校]。現在の北区北10条西4丁目にありました。
所蔵 北大付属図書館

山田先生の胸像

山田幸太郎先生の胸像現在の南高校の校庭には、山田幸太郎先生の胸像が建立されています。この胸像の裏面には次のように記されています。[昭和8年建立の山田先生の胸像は、昭和18年金属回収のため供出されたが、戦後昭和25年同窓会が再鋳して7月1日除幕式を行った。製作者は、中18期の諏訪頼雄で、平成7年新校舎落成に伴い現在地に移転された]。先生は、現在もこの学校のシンボルとして暖かいまなざしで時代を見続けているようです。

大典記念松

大典記念松校門を入ると山田先生の胸像の周りには、90周年記念の時計塔なども設置されていますが、校庭の一角には巨木が並んで聳えています。巨木には[大典記念松]と刻まれた石碑が置かれていますが、そこには、大正4年11月と刻まれています。由緒が書かれていないので詳しくは判りませんが、山田校長は、農学校時代新渡戸稲造が恩師で、新渡戸稲造を通じて、木を植える心を教えられ、学校林の造成に力を尽くし半世紀にわたり学校林が保持されてきました。こんな思いが現在の校内の随所にも残されているようです。

学校の変遷を辿る

現在の南校の歴史は古く、1895年(明治28年)4月、札幌区(現在の札幌市)北10条西4丁目に、札幌尋常中学校として設置されたのが始まりです。その後、札幌中学校、札幌第一中学校と呼称が変わり、1922年(大正11年)7月、現在地である南18条西6丁目に二代目校舎が落成しました。戦後の学制改革で札幌第一高等学校から現在の北海道札幌南高等学校になりました。
六華の門写真は、百年記念館ですが、この門は、北海道庁立第一中学が大正11年に北10条の校舎より現在地に移転した二代目校舎の正門です。この門は、母校の90周年を記念して復元され[六華の門]と名付けられています。正門前には[六華の門由来]とかかれた石標が設置され、裏面にその由来が刻まれています。かつての思い出を留める歴史の遺産でもあります。