篠路駅の近くに[篠路神社]がありますが、この社殿脇に設置されている由来書にも荒井金助による造営の経緯が記されています。荒井は、1857年(安政4年)篠路八幡宮として社殿を造営して村の氏神としました。
札幌村郷土記念館に掲載されているパネルには篠路に入植した早山清太郎の[篠路の開祖]としての位置づけが記載されています。[荒井金助によって開拓された荒井村はその後徳川幕府の崩壊、明治政府の樹立、箱館戦争の勃発などで、全村あげて開拓を放棄して戦争に参加した。そのため開村14年にして一応廃村となつた。しかし、その中で毅然として開拓の鍬を振ったのは早山清太郎で、1871年(明治4年)南部藩士10戸が伏籠川の川沿いに永住したのでその他の移住民を合体して早山が名主となつた。彼はこの地で生涯を終えた]。まさに、早山清太郎は、文字通り篠路村の基礎を築いた先人といえましょう。
明治初期の篠路村の様子です。早山が遺した数々の功績の中でも、道路の開拓はその後の地区の発展に大きく寄与しています。早山の手がけた20本余の道路建設の功績は、彼の法号である[篠路院仁誉寿山徳翁万開道居士]にも如実に示されており遺徳は後世に留められています。
所蔵 北大付属図書館
歌舞伎発祥の地[篠路]
篠路と言えば[篠路歌舞伎]が有名で、さっぽろふるさと文化百選にも選定されています。この地区にも当時の歌舞伎を伝えている場所、縁の碑などがいくつか存在しています。篠路歌舞伎が始まつたのは1902年(明治35年)で、当初は篠路一帯が烈々布と呼ばれたいた頃、村の青年を中心に演じ競られ最盛期には花道や回り舞台を備えた本格的な歌舞伎で全国農村歌舞伎の中でも特異な存在でしたが1934年(昭和9年)消滅しました。