伊藤一隆

プロフイール

札幌の歴史の中で、札幌農学校が果たした役割は極めて大きく、伊藤一隆(いとうかずたか)も農学校最初の卒業生の一人ですが、彼は札幌ではじめてのクリスチャンとしても知られ禁酒運動の指導者として生涯をかけてこの運動の推進に尽くした足跡は今尚語り続けられています。一隆は、1859年(安政6年)3月江戸で生まれました。彼は、開拓使仮学校、札幌農学校に学び卒業後は、開拓使から北海道庁の役人として北海道の水産分野の発展に心血を注ぎましたが、彼は天職としての禁酒運動に取り組みながら、1929年(昭和4年)1月5日、70才の生涯に別れを告げています。 写真は道庁水産課長時代のものです。所蔵 北大付属図書館

札幌農学校と伊藤一隆

開拓使仮学校
開拓使は、1872年(明治5年)北海道開拓に携わる有能な人材を育成するため、開拓使と同じ増上寺の境内に[開拓使仮学校]を併設しました。生徒の定数は、官費生50名、私費生50名、合計100名で卒業後は官費生は10年、私費生は5年、北海道の開拓に従事することが義務づけられていました。伊藤一隆は、最年少の13才で試験に合格し、在学中の成績は何時もトップでした。その後札幌農学校に入学しています。 所蔵 北大付属図書館[写真集 北大百年]より転載


東京で開校した[開拓使仮学校]は、1875年(明治8年)に[札幌学校]と改称されて札幌に移りました。開校式は1875年9月7日で、校舎は現在の時計台の側にあった外国人の寄宿舎を改築して使用していたようです。[札幌学校]も、翌年の1976年には[札幌農学校]として開校しています。札幌農学校の第一期生は24名で、同期生の中には、佐藤昌介、大島正健、渡瀬寅次郎などがおりました。一隆がキリスト教に強い関心を持ったのがこの時代で、様々な抵抗に耐えながら、札幌に到着したばかりのクラーク博士に頼んで洗礼を受けたと言われています。写真左は札幌学校、右は農学校の開校式です。 所蔵 北大付属図書館

伊藤一隆と禁酒運動

写真は札幌農学校の初代教頭に就任した[クラーク博士]です。伊藤一隆が禁酒運動に心血を捧げる契機となったのは、クラーク博士です。クラークは来札後薬用として持参してきた葡萄酒をたたき割って自ら実践して学生達に禁酒、禁煙を誓約させています。このような学生に対するクラークの指導が、伊藤はじめ農学校卒業生に引き継がれて、札幌禁酒会、北海道禁酒会へと発展していきました。
所蔵 北大付属図書館[明治大正期の北海道 写真編]より転載。



水産業界の発展に尽くした伊藤一隆

千歳川インデイアン水車
伊藤一隆は、生涯の大半を行政に携わり、明治27年に北海道庁を退職するまでの間、北海道の水産業界の発展に尽力しました。上の写真は現在観光スポツトとして脚光を浴びている[千歳サーモンバーク]です。明治21年には彼の力で千歳鮭鱒孵化場が創設されましたが、ここでは官営の施設としてインディアン水車が設置され、そこで捕獲、採卵、受精された卵が孵化場に運ばれ鮭の増殖に一役かつていました。そのインディアン水車を観光の目玉としているのが現在の千歳サーモンパークです。