ウイリアム・S・クラーク

プロフイール

クラーク博士は、本名ウイリアム・スミス・クラークで、アメリカマサチューセッツ州立農科大学長の時日本に招聘されて初代の札幌農学校の教頭に就任しました。博士の遺した[青年よ大志を抱け]は、今なお不滅の名言として輝いています。クラーク博士は日本には8ヶ月の滞在でしたが、この間札幌農学校の基礎作りに大きな貢献を果たしたばかりでなく、北海道の開発にも多大の貢献を果たされました。 所蔵 北大付属図書館

クラーク像北大構内の正門から中央道路にかかる処にクラーク像があります。北大観光スポットの一つになっていますが、この像は、大正15年(1926年)大学創基50年の記念事業として建立されたもので、田嶋硯郎の制作です。太平洋戦争のため金属献納でなくなりましたが、1948年(昭和23年)に再建されています。

札幌農学校とクラーク


札幌農学校(上図 農学校全景 所蔵 北大付属図書館)は明治9年(1876年)に此までの札幌学校の校名が替わったものですが、当時の演武場は現在の時計台の近くにありました。計画はクラーク博士ですが、基本構想はクラークの後を継いだW・ホイラーが作成して明治11年(1878年)10月16日に完成しています。札幌農学校ではクラーク博士の薫陶を受けた第一期卒業生としては、後の大学の初代学長となった佐藤昌介、第二期生には内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾など著名な方々を輩出しています。

クラーク博士とモデルバーン

クラーク博士は着任後直ちに学生の農業実習と作業試験のため、開拓使に土地の一部移管を申し入れ了承されました。クラークは、その農園を日本農業改善の実験農場にしようと試み[模範家畜房(モデルバーン)](写真左図)の建設を計画し1877年(明治10年)完成しました。現在の図書館北側のテニスコートあたりです。

旧農学校校舎

札幌農学校は、1903年(明治36年)現在の北大キャンパスに移転しました。1907年(明治40年)には、東北帝国大学農科大学となり、大正時代に入り1918年(大正7年)北海道帝国大学となり現在に至っています。北大キヤンパスには今尚当時の面影を留める建物のいくつかが存在しています。写真は1901年(明治34年)に建設された旧農現在の北大キヤンパス学校時代の昆虫学教室です。

クラーク博士の離札

クラーク博士見送り風景
クラーク博士は日本滞在約8ヶ月と言う短い期間でしたが、1877年(明治10年)4月札幌を離れました。あの[Boys Be Ambitious]の名言はこのとき述べられたと言われています。写真は、開拓使旧本陣前から離札する博士を農学校関係者が見送った時の様子です。(所蔵 北大付属図書館)