表22
1971年4月1日、uhb 開局
1971年からは北海道第三期計画がスタートし、北海道全域にわたる大型プロジェクトが計画された。全国レベルでは新聞に対してテレビが優勢に推移したものの、北海道地区に於いては新聞の壁が厚くテレビは苦戦を虐げられた。新聞に追いつくためには新しい戦略の構築が必要であり、その一環としてテレビ広告の[情報化]が進められ、地域情報番組と連動したCM展開が盛んとなった。
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表23
電波の伸び率を比較すると、'78年以降ラジオ広告費の伸びがテレビを上廻っている。これはラジオ2局が競りあらそう中で、販売促進企画、新番組の開発に取り組んだ成果が実ったものである。
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表24
全国とのシェアの比較では、新聞は常に4-5%を保持しているが、テレビは年々シェアダウンを余儀なくされつつある。これは広告費の大都市集中化傾向が現れ始めた事を物語っている。
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表25
1970年代は北海道の経済の発展にあわせて地元広告費が大きく伸びた。10年間の伸び率は新聞309.7%、ラジオ323.7%、テレビ333.7%となっているが、平均シェアでは依然として新聞が高く71.7%を保持している。これに対しテレビが22.1%、ラジオは6.2%で推移している。
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表26
1972年2月冬季オリンピック札幌大会
1971年12月札幌地下鉄南北線開通
1972年4月政令都市指定で区制施行
この時代のメディアの特徴としては、住宅、グルメなターゲット別の出版が急速に増大し、出版広告もーが脚光を浴びるようになった。
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表27
札幌オリンピック開催を契機に札幌の商業環境は急速に拡大化の傾向を見せた。
本州系の各デパートの進出が相次ぎ、各系列のスパーの拠点作りも積極的に進められ、広告費増大の大きな要因となった。
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