かつての札幌村(現在の札幌市東区)は、大友亀太郎が開祖といわれ彼が開削した大友堀(現在の創成川)や御手作場は、札幌発展の基礎を作りました。この記念館は、大友亀太郎関係歴史資料及び史蹟としても高く評価されている記念館です。
大友亀太郎は、1834年(天保5年)現在の神奈川県小田原市で生まれました。青年時代は、二宮金次郎につかえ尊徳の考え方を学びました。1858年(安政5年)幕府の命令で北海道に渡った亀太郎は、箱館奉行から木古内の開拓を命ぜられましたが、無事これらの仕事を成し遂げ、1866年(慶応2年)亀太郎が32才の時、石狩地方の開拓を授けられました。亀太郎は、慶応2年4月23日、木古内の開発の仲間数人を連れて石狩の船着場に到着しました。早速先住の早山清太郎の案内で石狩平野を調査した結果、農業に適した土地で、ナラの木が多く茂り近くに川が流れている[元村(現在の札幌市東区元町)]を開拓の拠点に決定したのです。
所蔵 北大付属図書館[明治大正期の北海道写真編]より転載

大友亀太郎が開削した用水路で[大友堀]と呼ばれていました。これが現在の[創成川]です。この大友堀は、現在の南3條東1丁目から北へ進み、北6条東1丁目から北東へ流路を変え、[御手作場]に流すもので、最終的には現在の大友公園(北13条東16丁目)で旧伏古川に注いでいました。用水路の長さは約4キロ、深さは約1b50aで、幅は約1b80aでした。1866年(慶応2年)9月9日に完成しています。当時としては大工事で、人々はこの工事を[百万両の大工事]と名付けていたそうです。所蔵 北大付属図書館

大友堀は、田畑の潅水の為に開削されたものですが、後には運送路としても利用され、札幌への物資を運ぶ大動脈として経済面でも大きな功績を遺しています。この堀の下流は1925年(大正14年)埋め立てられて道路になりました。写真は南3条から北6条付近までの用水路で、現在[創成川]としてその姿を留めています。
所蔵 札幌市公文書館

大友公園かつての[御手作場]は、現在[大友公園]となつています。
写真は、[地図の広場]です。大友堀の全体像が一目でわかるように描かれています。この地図の広場に繋がって、大友堀を再現した小川があります。大友堀は現在姿、形もありませんが、このように先人が心血を注いだ努力で今日の発展があることを理解し、何時までも語り継いで行かなければならないと痛感させられました。