1階の正面奥には[ドサンコ馬]が馬車を引いた姿が再現されています。この案内ボードには次の様に書かれています。 ドサンコ(道産馬) [原始時代には北海道には馬はいなかった。300余年ほど前に東北地方の南部馬が松前藩から送られてきたのが[ドサンコ]の源となった。始めは主にニシン漁場の雑役に使われていたが、漁業を切り上げる時には野放しにして残された。馬たちは厳しい冬に雪を掘って草を探してオオカミや熊とも闘い北海道の風土に適応土着して生き残った。人々が段々移住してからはおとなしい家畜の本性を失わず開拓に大事な役割を果たしていた]。 |
当時はタマネギが主たる産業であり、タマネギの生産に関わる農機具がずらりと展示されています。正面玄関に[我が国の玉葱栽培はこの地にはじまる]と書かれた記念碑があるように、この村の繁栄は玉葱がもたらしたと言っても過言ではないようです。 |
此は明治後期の[茶の間]を再現したものです。ここには次の様な説明が記されています。[赤々と燃える[いろり]の火、あばら家も暖かい住まいとなる。鉄瓶で沸かすお茶はうまい。正面の戸を開けるとおじいさんが出てきそうである。しかし一度冬将軍が訪れるとその寒さは言語に絶して骨まで凍ってしまうようであった。隣の馬小屋から[ゴリゴリ]と言うワラを食う歯音が吹雪の音の中に伝わってくる] |
大友亀太郎によつて創設された[御手作場]を中心に農業は大きく発展しましたが、様々な農具が開発され使用されていました。 |
当時の開拓民の生活用品や、当時の学校教育の教材など貴重な資料が多数展示されています。 | 埋蔵品の中に2本の徳利がありました。庚申塚を巡っては次のような事が記録されています。[大正時代に庚申講の一人が郷里の新潟で庚申塚に埋めてあった60年前の酒を飲んで大変な御利益があったことから、ここでも酒を埋めて60年後に飲んで貰う事としていました、60年後の昭和51年に開けると酒は腐っておりましたが、徳利がそのまま残っておりました。この写真は発掘されたこれらの品々です。 |