展示コーナーには、開拓時代の農具類が多数展示されています。 | |
パネルには、開村の記録などが展示されています。上段左は、[手稲村開村の発端]、右は、[初期の開村記念碑]、下段左は、[手稲山山頂の守り神]、右は、[ヒュッテ形式の軽川(現手稲)駅舎]です。 | |
農業の開拓に欠かせない動力として使われていたのが[水車]です。パネルの写真は、昭和30年代に作られた水車で籾すりの終わった玄米を杵を上下させて白米に仕上げる道具でした。永い開拓の歴史の中で大きな役割を果たしてきた[水車]は、現在では殆ど見ることが出来なくなりました。 |
|
北海道開拓の文化財として保存されているのが[バッタ塚]です。開拓の当初移住者は、厳しい自然環境と闘いながら開拓に努力しましたが、1880年(明治13年)は気候不順のため不作不況に見舞われました。この年は天災ばかりでなく、[とのさまばつた]の大被害を蒙りました。手稲山口地区はその後1882年再びこの被害にあつた為、開拓使庁は、ばつたの撲滅対策として、ばつたの卵と捕獲した親虫を山口の新川川口のほとりに埋める事としました。これがバッタ塚です。 |