平成23年大通公園は開園100周年を迎えました。現在の大通公園は、明治4年開拓使判官岩村通俊が策定したもので官地と民地を幅105メートルに分けた「火防線」で、大火の延焼を防ぐための空間を確保する為に設けられたもので、公園として整備されたのは明治の終わりです。現在の大通公園の名称は、明治9年に西2-3丁目に二千坪の花壇が造成され[大通花草園]と呼ばれたのが名前の由来だといわれています。 |
明治42年に造園設計家の長岡安平を招いて3年の月日をかけて逍遥地としての整備を行い今日の大通公園の基盤がつくられました。写真は整備が始められた明治42年当時のものです。
(所蔵 北大付属図書館)
西1丁目の[豊平館(下左図)]と西2丁目の[札幌逓信局・郵便局(下右図)]は、現在の公園内にまでくいこんで建てられていました。(所蔵 北大付属図書館)
大正15年には大通公園の西端西13丁目に[札幌控訴院]が建築され、公園の趣も大きく変りました。現在の[札幌資料館]です。
所蔵 札幌市中央図書館
昭和期の大通公園
大正から昭和にかけて公園の整備は進みましたが、公園も戦中は食料事情が悪く畑地に転換される時期もありました。戦後食糧事情の好転により畑地はなくなりました。戦後は進駐軍に没収されましたが進駐軍から大通が返還された昭和25年から公園としての整備が再開されました。
昭和10年の大通公園(写真集北大百年より転載) |
昭和12年の大通公園 所蔵 札幌市公文書館 |
戦時中農園と化した大通公園(所蔵 札幌市公文書館) |
昭和23年最初の雪まつり(所蔵 札幌市公文書館) |
戦後進駐軍に撤収されていた公園も返還され、再び公園の再活用と整備が進められることとなりました。写真は昭和26年の大通公園です。
所蔵 札幌市公文書館
100周年を迎えた大通公園
春の[ライラックまつり] |
初夏の呼び物[よさこいソーランまつり] |
納涼ビアガーデン
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初冬を彩るイルミネーション
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札幌雪まつり |
札幌雪まつり |
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