琴似の屯田兵村兵屋は、旧仙台藩士や会津藩士からなり明治8年に198戸、翌年3戸、11年には7戸が入植して合計208戸からなっていました。この兵屋は、明治7年5月5日に建設が始められ11月28日に柾葺・津知壁造りの208戸の工事が完了して開拓使に引き渡されています。琴似屯田の兵屋設計は[琴似型兵屋]と称せられ、道内各地屯田兵村の屯田兵屋の基本となっています(琴似屯田百年史引用)。現在札幌の地下鉄東西線[琴似駅]のすぐ近く(西区琴似2条5丁目1-2)に保存されている兵屋は昭和57年7月にに史跡として指定されましたが、その後平成16年11月には北海道遺産としても登録されました。















地下鉄東西線[琴似駅]からほど近い琴似2条5丁目に保存されている兵屋です。この住宅は、屯田兵清野専次郎入居住宅として給与されたものです。
この住宅の敷地面積は150坪、兵屋は17.5坪です。正面入り口の右手には格子の窓があります。
下の写真は兵屋の内部ですが、中央の[居間兼台所]を挟んで右が[土間]左には八畳と四畳半の二間があります。屯田兵はこの兵屋を生活の拠点としていました。記録(相澤季男著 山の手のおいたち)には[現在の西区山の手地区は、屯田兵が入居以来、国道から三角山の山麓までの45.110坪が射撃場及び練兵場、一部国道沿いに中隊本部の官舎敷地400坪、それに墓地用地として5.000坪など、計50.110坪が公有財産地として殆ど使用する事とされていた。この面積は山の手地区の殆どが使用された状態といえよう。そして屯田兵は、この守りと訓練をしながら各戸に5.000坪給与された土地の開拓に従事した]と記述されています。
この写真は大正初期の様子ですが、巨木に覆われていた原野が屯田兵の開拓により農地として整備されており、その苦労が偲ばれます。
所蔵 北大付属図書館



入り口を入ると[土間]には当時使用した様々な農具が展示されています。







[土間]には[踏板]がとりつけられいます。写真は、居間兼台所でここには[炉]がありますが機織り機が置かれている処を見るとここが作業場としても使われていたのでしょうか。




二間続きの和室があり、8畳間と4.5畳間ですが、写真は8畳間です。現在はきれいな畳が敷かれています。




兵屋の裏手には[琴似屯田兵村菜園]があり毎年地域の住民が、兵村の生活を偲んで屯田兵が耕作していた自家農園を復元したものです。