琴似に屯田兵が入植するのは1875年(明治8年)ですが、これ以前にもこの地方には既に移住者はおりました。記録によれば1857年(安政4年)永田久蔵等20余名が発寒に移住しておりました。その後、1866年(慶応2年)陸中(岩手県南部)の中田儀右衛門も発寒に移住し後年琴似に移住、更に1871年(明治4年)には越後から森三吉等5戸がベッカウス(現在の三角山の麓から発寒川に迫っているあたり)に移住した記録も遺されています。また、1872年(明治5年)には三木 勉を取締役とする白石藩士47戸も白石村から上手稲に移住しています。このように先住民はありましたが本格的な移民は、明治8年の屯田兵の入植でこの事で琴似の開拓が急速に進められる事になりました。屯田兵の入植にあたり琴似兵村が開村しましたが、兵村は開拓使によって明治7年(1874年)に208戸が完成しました。現在の琴似地区は札幌の副都心として発展していますが、街の中心街にも[兵村兵屋跡][琴似屯田兵屋][屯田の森][授産場跡]など屯田兵村の面影を留める遺産が残されていますが、発寒地区にも屯田兵開拓移住の碑など数々の屯田兵縁の碑が建立されています。
琴似兵村の建設を進めたのは開拓使東京出張所に出仕していた村橋久成で、最初に10間幅の中央道路を建設しました。(現在の琴似本通)此を兵村の中心として東西南北に道路を設け村内の兵屋の地割を行い左図の様に整然とした兵屋が配置されました。この中央道路を挟んで南側(現在の西区役所前の屯田の森)に週番所(後の中隊本部)をまた、南東地区(現在の琴似神社)に養蚕の作業所を設けています。兵屋の配置は一戸が間口10間、奥行15間、、150坪の地積ですが、東西に通じた6間幅の道路の左右に10軒ずつ兵屋が並び、南側から1番通り、2番通りと名付けられ6番通りまで200戸の兵屋が並びました。この6番通りの北側に8軒が建築され合計208戸となりました。この兵村は現在の札幌市西区琴似3丁目から6丁目にあたります。所蔵 北大付属図書館
琴似神社 授産場跡碑
写真上左図は[琴似神社]です。この神社も屯田兵縁の神社で現社殿は大正四年に建てられたものです。また、上右図はこの神社に建立されている[琴似屯田兵授産場跡]碑です。当時の屯田兵の生活を守るため開拓使は養蚕を奨励し、その作業場がこの側にありましたので、これを記念して建立されたものです。

現在[西区役所]がある場所に[週番所]後の[中隊本部]が置かれていました。[週番所]は、明治18年に[中隊本部]と改称されています。所蔵 北大付属図書館[明治大正期の北海道 写真編より転載]
[中隊本部]が置かれていた現在の[西区役所]に隣接して[屯田の森]があります。ここには、かっての屯田兵村を記念する幾つかの碑が建立されています。当初はそれぞれ違った場所に建立されていましたが、昭和50年に現在地に纏められたものです。


琴似屯田百年記念碑


琴似屯田兵顕彰碑


屯田兵本部址


陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之址
この[屯田の森]には彫刻家奥山喜生氏の手によるモニュメント「開拓の鼓動」が設置され、ふれあいシンボルとして人々の憩いの場となっています。
琴似屯田歴史館 資料室 札幌市西区琴似2条7丁目  011-614-8245(左図)
この建物には[札幌市西区消防署琴似出張所]と、[琴似まちづくりセンター]が入っていますが、この2階部分が[資料室]です。地下鉄[琴似] から徒歩5分程の場所で、24軒手稲通と国道5号線の中間、右隣が西区役所、左隣が屯田の森があり、道路を挟んで向かいには琴似神社があり ます。
下図は展示室の様子です。