北5条手稲通とその周辺

札幌駅南口広場の前を通っているのが北5条手稲通です。札幌駅周辺の通の両サイドにはホテルを始め様々な業種のビルが林立し交通量も多く駅前の幹線道路として大きな役割を担っています。
駅前通から眼を東に転ずると西2-3丁目の一角にさっぽろ東急デパートがあり北口玄関がこの道路と接しています。
写真はデパートの南口でこの前を走っている道路は[北4条通]です。
東急百貨店は札幌に進出した本州デパートの第一陣で東急グループの北海道進出作戦の三部門である、ニュータウン建設、ホテル、ショツピングの一環として「さつぽろ東急百貨店」が1973年10月15日開業しました。その後1977年8月1日、同百貨店は東急百貨店札幌店となっています



デパートの東2丁目界隈は農業団体のビルで占められています。西2丁目の北西の一角を占めているのがホクレンビル(左図)で南側に並列して北農ビル(右図奥)その東に共済ホール(右図手前)
が並び、北4条通を挟んで下の写真の[札幌全日空ホテル]です。このホテルは、昭和49年(1974年)地上26階の高層ホテルとしてオープンしましたが当時まだ高層建築が少ない時代で、最上階のラウンジから眺める夜景に人気が集まったものです。写真下右図は正面玄関です。正面玄関は、創成川に面していますが創成川は創成川公園としてデビューし河畔には散策路も整備され野外彫刻なども点在するなどこれまでの景観から大きく変わりつつあります。

札幌全日空ホテル

正面玄関横に[新渡戸稲造]住居の案内パネルが設置されています。

案内パネルには大凡次のように書かれています。[新渡戸稲造は明治24年農学校の教授に就任のためアメリカから
札幌に戻り明治30年までこの官舎に住んでいた。当時この場所(北3条西1-2丁目)は農学校の官舎が4棟並んでおり
新渡戸宅には有島武郎も寄宿していた。官舎には、宮部金吾やアメリカから派遣されていたブルックスなども住
んでいた]。写真右下図は、パネルの写真を拡大したものです。

パネル新渡戸稲造住居

札幌駅南口から北4-5条以西は北海道庁を中心に広がり西に進んで植物園のあたりまではかっての開拓使時代の面影を留めるエリアです。
北5条通からの駅前通はビジネスや金融などのビルが軒を並べています。


北5条通には[読売ビル左図][アステイ45右図]とビルが続きますがいずれも札幌駅地下と繋がっています。









アクセスの良い駅前北5条通にホテルも点在しています。写真左から札幌センチュリーローヤルホテル、三井ガーデンホテル、札幌京王プラザホテルです。


[北4条通]を西に進むと左手が北海道庁です。写真下左図は、五丁目通です。写真下右図は、前庭の池です。

北海道庁西五丁目道庁前庭の池

写真下左図は、道庁北門から見た道庁本庁舎です。写真下右図は、本庁舎と道路を挟んで隣接する別館です。

道庁本庁舎道庁別館

道庁構内と道路を挟んで向かい合っているのが、毎日新聞社の毎日会館(写真下左図)、下右図は、ホテルポールスター札幌です。

毎日会館ホテルポールスター札幌

道庁の別館を更に西に進むと[植物園]の入り口です。現在の植物園は、およそ13万3千uの敷地の中に4,000種の植物を栽培・分類して生態的展示を行っています。北大植物園は札幌の自然の歴史を語り続ける博物館的な存在です。この植物園が生まれるきつかけとなつたのは、クラーク博士の提言に基づくもので、札幌農学校は所有する温室とその付属地など(現在の中央区北4条東1丁目付近)を合わせて植物園を設立することとし、1880年頃(明治13年頃)には、北海道産の樹木70種ほどの移植を行っています。1883年(明治16年)、農学校の助教授となつた宮部博士は新しく植物園の設立計画責任者となり設立に着手しました。その後1884年(明治17年)博物場及び付属地約15,000坪が植物園用地として農学校に移管され、ここに現在の植物園が誕生することとなりました。1900年(明治33年)には、宮部博士が初代園長に就任し、1927年(昭和2年)二代目園長伊藤誠哉教授が就任するまで園の整備拡充に心血を注がれたのです。写真下右図は、有形文化財に指定されているわが国で最古の[博物館]です。

北大植物園植物園園内ローン博物館