西5丁目樽川通(2)

北8条通から北18条通までの樽川通の西一帯は北大のキャンパスです。かってこの通には市電が運行していましたが、地下鉄の開通に伴い市電が廃止され現在は路線バスのみが運行しています。北大正門から銀杏並木の北13条を過ぎると左手に[北海道大学病院]が姿を現します。通称[北大病院]ですが、広い駐車場を抱えて巨大な病院の建物が悠然と構えています
北大病院正門から道路沿いに北に進むと歩道脇は緑濃い木々が整然と立ち並び心が和む遊歩道といった趣です。病院に隣接して消防署や郵便局があります。
やや暫く北に進むと、メインの[西五丁目樽川通]から分岐して左に道路が延びています。道路の両側が樹木で覆われた通りで左手は北大の施設、右手はマンションなど一般の住宅街となつています。この通りは北18条まで続いています。表通りの喧噪から離れて静寂感が漂うストリートを形成しています。

広大な北大構内は、札幌市の東西を結ぶ幹線道路を遮断して都市計画の上での障害になつていました。この道路のもう少し先(左手)に長さ730bのエルムトンネルが完成し、北大構内の下を車が走行するようになり、アクセス面では大変利便性が高くなりました。写真はトンネルから抜け出て東に連なる道路ですがこのようにかっての北大の姿も時代と共に大きく変貌を遂げつつあります。この道路の右サイドに見えるのがモデルバーンで、この周辺には獣医学部や低温科学研究所などを始め産学協同の研究機関などもあります。


地下鉄南北線も樽川通と並行して走行していますがこの沿線には高校・大学も多く点在しています。永い歴史を持つ藤学園もその一つでう。
この写真は、現在の[キノルド資料館]です。旧藤高等女学校校舎であった[キノルド記念館]が2001年(平成13年)解体され、2003年(平成15年)外観の一部を再現してこの建物が建てられています。建物の屋根に取り付けられている[尖塔]が大変特徴的で、タマネギの形をしていることから[玉ねぎ塔の校舎]と呼ばれて生徒からも親しまれてきた建物です。

樽川通を更に北進地下鉄北24条駅付近です。ここはかって市電が走っていた頃は北の終始発地点で商店や飲食店も多く夜は北のススキノと言われる様な繁華街でした。地下鉄運行後は通過駅となりかっての市電車庫跡には[札幌サンホテル(左図)が、また近くには[北区役所(右図)]等北区の行政・文化の拠点地区となっています。


かってこの地帯は飛行場があったことはあまり知られておらず、現在の大きく発展した住宅街の姿からは想像も出来ません。現在は飛行場の門柱が遺されているのみです。


門柱傍の案内板には次のように記されています[ここにある二基の門柱は、かって道内では唯一つの東京への定期航空路を持っていた札幌飛行場正門の跡である。この飛行場の歴史は大正15年(1926年)旧北海タイムス社が報道用のため北24条以北を滑走路として使用した事に始まる、昭和8年(1933年)逓信省はこれを含めて拡張53万平方メートルの広大な飛行場とした(中略)昭和20年(1945年)終戦の年札幌飛行場は閉鎖された]。
写真上右図は、彫刻家坂坦道さん製作のブロンズ像[風雪]碑で昭和62年(1987年)建立されました。

樽川通を進むと地下鉄北34条駅右側にあります。この近くで札樽自動車道と交差します。高架下を過ぎ更に進むと近代化した町並みの麻生地区です。地下鉄の北の終始発駅ですがここからは石狩市をはじめ多くのバスのターミナルとして交通の要所でもあります。
かつてこの地帯は、新琴似番外として1891年に帝国製麻琴似工場が操業を始めましたが、1957年に閉鎖しその後住宅団地として造成された地域です。この時に亜麻の発祥の地として[麻]の字を残して地名が[麻生]と名付けられました。麻生町は、南の1丁目から北の9丁目まで区画が整理され札幌でも一大住宅エリアとして大きく発展を続けています。

石狩新港に通ずる幹線
麻生は、札幌の北の玄関口として、路線バスもここから郊外、石狩市などと頻繁に走行しています。写真は石狩方面に通ずる幹線ですが、石狩新港の開港以降物流を中心とした陸上輸送が大幅に増加し道央の通過点としてこの面からも大きな役割を果たしています。


千歳空港行きバス乗り場北海道の空の玄関[千歳空港]には、JRの他路線バスが運行していますが、市内各地にも空港行きの高速パスが運行しています。ここ、麻生駅前からもバスが運行しています。


麻生のメインストリート街の中心地は、商業施設をはじめ企業のビルも林立し活気に溢れた町並みです。それにしてもバスの停留所が多く、ひっきりなしにバスが発着し、地下鉄と乗り換える人の波が続いています。

麻生駅前バス停留所には[麻生駅前]と記されています。この通りは札幌の中心部に繋がる幹線で先に紹介した[西五丁目樽川通]に繋がっています。地下鉄が開通する以前は、北の玄関口は北24条でしたが、1978年地下鉄が北24条から延伸したため麻生は北の玄関口として大きく脚光を浴びつつあります。


札幌中心部に向かう幹線麻生駅前から札幌中心部を俯瞰したものです。

麻生駅前から[新琴似駅前通]を進と、JR学園都市線の[新琴似駅]前にでます。新琴似も屯田兵によって開拓が進められた地区です。新琴似駅前から徒歩10分ぐらいの処に[新琴似神社]と[中隊本部]があります。この前を走っているのが[西五丁目樽川通]で、別稿で紹介した札幌市内の北大キャンパス前から麻生までは地下鉄南北線に並行して走った後新琴似に繋がっています。写真下図は[新琴似神社]で[新琴似神社]の境内がかつての屯田兵の中隊本部のあつた場所で、この神社が屯田兵縁の地となつています。住宅地のなかに広大な敷地を持った神社は、明治20年5月20日に屯田兵がこの地に入植したおり、天照皇大御神、豊受大神、神武天皇を守護神として祀つたのが創祀です。

新琴似神社新琴似神社社殿

新琴似屯田兵村中隊本部この地に屯田兵村が建設されたのは、[琴似][山鼻]から遅れて明治20年です。ここに入植した屯田兵は九州、四国地方からの出身者が多く220名が入村し第一大隊第三中隊を編成しました。かつての中隊本部は、現在の新琴似神社の敷地内にありました。左の写真は修復されて保存されている中隊本部の写真です。