[北海道開道百年行幸啓記念]碑
昭和43年は北海道開道100年の年にあたり、また、札幌市も創建100年を迎え、この式典には天皇・皇后両陛下が来道されました。この記念の植樹が円山公園で行われ、記念碑が建てられています。

[包丁塚]
円山公園に建立されている[包丁塚]です。昭和47年に建立されたもので、札幌の調理師の皆さんが記念に建てた碑です。


[皇太子殿下御成婚記念]碑
昭和天皇の皇太子時代の御成婚記念碑です。大正13年5月に建立されました。先程の天皇・皇后両陛下の記念碑の側に並んで建てられています。

[岩村通俊之像]
岩村通俊は、高知県の生まれで開発判官として札幌の開発に大きな力を尽くしましたが、その後明治19年北海道道庁が設置され初代の長官に就任しました。長官時代には官営事業を民業に移すなど、拓殖政策の転換を推進しました。像は佐藤忠良の制作で、円山公園の樹林の中で静かに佇んでいます。この[円山]という地名も明治4年今村通俊の判官時代につけられたものです。
[円山会館]は、現在外装の工事中ですが、会館入り口の一隅に二つの記念碑が建立されています。

[善徳翁]碑
善徳は、上田善七のことで先に紹介した上田万平の弟です。円山地区の開拓に尽力した功績を称え、当時の円山村が建立した碑で、高さ1.6メートル、幅75センチで、[圓山開村記念碑]の隣に並んで建立されています。上田善七は、特に農業面での功績が大きく、円山地区を近郊一の野菜生産地に作り上げるほか、原野の開拓にも大変尽力を尽くされた先人の一人です。

[圓山開村記念碑]
現在の円山地区は、札幌山の手の住宅街としても大きく発展しましたが、この地には明治3年、酒田県(現在の山形県)から30戸、90人が入植したのが始まりです。この碑は開村20年を記念して明治23年に建立されましたが、その後昭和3年8月、円山公会堂(現在の円山会館)の前庭に移設されています。大きさは、高さ2.4メートル、幅1メートルの天然石で出来ています。開村当時の円山は、明治3年が庚牛の年であったことに因み[庚牛三の村]と命名されていました。