北1条・宮の沢通

札幌を東西に縦断する[北1条通]は、北1条西11丁目を起点として[北1条・宮の沢通]と呼ばれ、終点は西区宮の沢1条3丁目で、7.3キロの道路です。正確には[西11丁目ー西25丁目までが道道124号宮の沢北1条線][西25丁目ー西28丁目までが市道184号北海道神宮線][西28丁目ー国道5号までが市道9902号南19条宮の沢線]です。この沿道には様々な建造物がありますが、都心部は文化的な機関や施設が集約されたエリアでもあります。この通と[石山通]が交差する西11丁目の北西の一角には[ロイトンホテル]が威容を誇っています。

北1条西11丁目 ロイトンホテル写真下図は、2018年(平成29年)9月閉館した旧厚生年金ホールです。
1971年開館し47年間札幌の文化の殿堂として親しまれ閉館前までは札幌市の管理下に置かれ命名権が売却されたためスポンサーの冠がつき[ニトリホール]となっていました。跡地の利用は未定です(参考画像)
ニトリホール(旧厚生年金会館)

前述の[ニトリホール(旧厚生年金ホール)]を西に進むと右手に[uhb 北海道文化放送] の社屋があります。前庭には、本郷 新さんの作品[躍進(左図)]と[賛歌(右図)]が建立されています。躍動感にあふれた作品です。

uhb 北海道文化放送躍進賛歌

写真下左図は、北1条西15丁目の交差点です。これから北西の一角は知事公館で、角に瀟洒な交番があのます。交番前の道路は、[道道桑園停車場線]で、北1条西14丁目から北10条西15丁目までの道路です。この道路を北に進むと知事公館の敷地内に[三岸好太郎美術館(写真下右図)]の白い建物があり、美術館前は北2条通で北1条通と比較して静かな通です。

北1条西15丁目三岸好太郎美術館

写真下左図は、知事公館前の歩道で、下右図は、知事公館と道路を挟んだ西隣の近代美術館前の歩道です。

知事公館前歩道近代美術館前歩道

下左図は、[北海道知事公館の庭園]です。北海道の知事公館は、札幌市のほぼ中心北1条西16丁目の一角にあります。この地帯は昔は[桑園]でした。今でもここから北の方に[桑園]という地名が残っています。この桑園が後ほど三井合名会社の所有となり、1936年(昭和11年)同社の迎賓館として建設され[三井クラブ]と呼ばれて来客の応接に使われていましたが、昭和28年に道の所有となり現在の知事公館となりました。入り口を入ると木立の中に知事公館の建物が見えますが、周りは自然がそのまま残され、小川のせせらぎも聞こえてきます。この知事公館構内には1000年以上も前の遺跡が残されています。庭の一隅に案内板が設置されています。この案内板は[北海道知事公館構内縦穴住居跡のご案内]というタイトルが付けられています。内容を要約すると[明治年間に発刊された札幌沿革史の記録によると札幌地方で縦穴住居が多いのは琴似川流域でその数は860個と記されています。当公館構内にも17個の縦穴住居が点在していた様子が記されています。今から約1千年の昔、春から秋にかけて遡上する鮭や鱒を食料とした擦文文化期の人たちがこの地に住んでいた事を物語っています]下右図は、[北海道立近代美術館]です。北海道立近代美術館は、1977年7月オープンしました。静かな木立に囲まれた中にユニークな建物が一際注目を集めています。この建物の周りは芝生に囲まれ、その中に数々のモニュメントが配置されていて来館者の心を和ませてくれます。

(彫刻・碑・モニューメントは、[沿道の彫刻・碑・モニューメント集]として別ファイルに掲載してあります。最下段にリンクバナーを設置してあります)

知事公館庭園近代美術館

札幌管区気象台近代美術館の西隣が[札幌管区気象台]です。前庭には基礎データーを収集するための計器類が設置されています。

気象台の前庭



北1条西25丁目[知事公館][近代美術館][気象台]を西進し[西20丁目通]を過ぎると西25丁目の十字路に出会います。北1条宮の沢通と交差して南北に走る道路は[西25丁目通]です。左図の左方向に進むと琴似方面、右手に進むと[地下鉄円山公園駅]です。この通には[円山小学校][円山会館]などがありますが、永い歴史を持った[まるやま市場]もここにありました。(写真下図)
旧まるやま市場

西25丁目通かっての[まるやま市場]があった通です。市場の跡はマンションが建っていますが通にはお店が軒を連ねて活気が漲っています。この道路の手前に[円山会館]があり、その前庭に開村記念碑が建立されています。
この地区の歴史は明治3年に[酒田県(現在の山形県)からの移住者30戸90人が移り住んだ事に始まったと言われています。現在の円山は、初めての入植の年が[庚午]の年で有ったことから[庚午三の村]と呼ばれていましたが、明治4年に当時の判官岩村俊通が[円山]と命名しています。円山を切り開いたのは南部藩(現在の岩手県)から移住した上田万平・善七の兄弟でした。当時の円山(庚午三の村)は、開拓使札幌本府の建設に当たっての食料を供給する衛星村落として開かれたと言われています。兄弟は円山を野菜の生産地としてその名を高めましたがその後有名になった[円山朝市]の原点でした。
(註)記念碑は、[画像集 円山会館]をご参照ください。


十字路から西の方向をみると巨大な鳥居が目に入ります(写真下左図)。この鳥居は1895年北海道神宮第一鳥居として札幌軟石で建てられましたが、1928年に外側に銅板を巻いた高さ8.7mの鉄筋コンクリートに生まれ変わりました。写真下左図は、市内の中心部を俯瞰したものです。また、下右図は、北海道神宮方面を俯瞰したものです。

第二鳥居から市内中心部を俯瞰

更に進むと[円山公園][北海道神宮]です。円山公園と隣接して東側に[札幌市長公館]がありましたが、2010年に解体され、2011年秋公園として再生されました。市長公館の南側には[アメリカ領事館]があり、常時警官の立見が行われています。領事館館前を南に進むと、神宮の裏参道に通ずる公園の入り口です。
下左図は、市長公館跡地。下右図は、アメリカ領事館。
2011.11.18日、この公園で故ワグナー・ナンドル氏の彫刻[母子像・ふるさと]の除幕式が行われました。
視聴公館跡地計画図

写真下左図は、公園外周の[北1条宮の沢通]。下右図は、円山公園内道路。

円山公園外周

写真下左図は、北海道神宮正門鳥居、中央図は、鳥居から拝殿までの参道。右図は、島義勇判官銅像です。この銅像は、北海道神宮の正門にある神門左手の樹木の間に勇姿を見せています。この碑は、4メートルを超す大きな像で、島義勇が背中に開拓三神を背負っています。島は札幌に入ると神宮の裏山に登って石狩平野を見下ろし、札幌本府の計画を練ると同時に、三神を祀る社地を選定し現在地を決定しました。

北海道神宮北海道神宮参道島義勇判官像





北1条宮の沢通 神宮付近北海道神宮を過ぎ暫く進と[北1条宮の沢通]は、二方向に分かれます。写真の前方に標識が見えますが、ここから左折すると[札幌環状線]で、旭山記念公園に向かいます。