創成川は、1866年(慶応2年)
大友亀太郎によって開削された掘り割り(大友堀)を明治に入ってから現在の北6条あたりから篠路方面まで通じた運河です。当初大友亀太郎が計画した用水路は、豊平川の支流から水を引き、現在の南3条東1丁目から真っ直ぐに北に延び、北6条東1丁目から進路を変えて彼の作った[御手作場]に流すものでした。
[用水路の全体図]この用水路が出来たことによって田畑の灌水、開拓者の飲料水など農業面のみばかりでなく、ライフラインとしても大きな役割を果たしました。又、この堀は、札幌市内への物資の運送にも利用され、運送路としても産業面に大きな功績を遺しています。当時の[大友堀]の姿です。[大友堀2]
当時の大友堀を保存するため[大友公園]が作られました。この公園は、大友亀太郎が1867年拓いた模範農場[御手作場]跡に作られた公園で、ここは大友堀が伏籠川に注いだ場所でもあります。公園の歴史案内板には当時の大事業の様子が克明に記されています。
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