民放草創期の札幌広告市場

北海道初の民放は、1952年3月10日放送を開始したHBCラジオで、1957年に同社のテレビ放送が開始されるまでは、電波広告はラジオの独占市場でした。しかし草創期においてはこれまでの長い伝統に培われた新聞広告の中でラジオ広告の比重は地元よりも既に経験済みの中央広告主が高くそのシェアは営業収入の約75%でしたが、新しい民放メデイアに対する聴取者の関心の高さとともに広告利用度も年々高まり、テレビ出現までのこの時期はラジオにとっての全盛期でもありました。
民放発足草創期の札幌広告市場は、丸井今井、三越札幌支店、五番館、そしてステーションデパートなどのデパート群、狸小路に代表される商店街が主流でしたが、 1955年当時札幌の工業出荷額で最大の部門は食料品で全体の44,9%を占めこれらの産業も地元広告費の面では大きな貢献を果たしてきました。主な工場としては[北海道酪農協同(株)(雪印乳業)][大日本麦酒(株)(サッポロビール)][古谷産業食糧工場 (古谷製菓)][福山食糧工業(福山醸造)]等が挙げられます。下の写真は札幌を代表していたデパートでいずれも昭和29年(1954年)当時のもので、左サイドから[丸井今井本店][三越札幌支店][五番館]の古き姿です。



上の写真は、左から[丸井今井本店(1926年)][三越札幌支店(1936年)][五番館(1920年)][狸小路商店街(1935年)]です。
所蔵 札幌市公文書館