好景気に支えられたテレビ広告

我が国のテレビ放送は1953年8月28日、東京地区で日本テレビ放送網(NTV)の開局によって幕を開けました。北海道地区では此よりやや遅れた1957年4月1日、北海道放送(HBCテレビ)が呱々の声をあげています。電波広告費は戦後の復興目覚ましい我が国経済に支えられ、発足当初の大方の予想を覆して大幅な伸びを続けましたが、中でもテレビ広告費は此までのラジオ広告費に代わって驚異的な伸びを示しました。このようなテレビの急成長の要因としては様々な事柄が指摘されていますが、その一つとして挙げられるのが1959年4月10日の皇太子明仁親王と正田美智子さんのご成婚であり、この国民的一大イベントがこの後のテレビ広告のあり方、ネットワークのあり方を方向付ける始発点でもありました。此のご成婚に併せて相次いでテレビ局が開局しましたが1959年以降全国各都市でのテレビ局の開局が相次ぎ、テレビメディアは我が国マスメディアの中でも、主要な情報・広告メディアとしての位置づけを確保する事となったのです。

ご成婚パレード

1959年4月10日、繰り広げられたご成婚パレードは全国民をテレビの前に釘付けにしました。このテレビ中継を視聴するために全国的にテレビ登録台数の大幅な増加をみましたが、本道においても1959年の登録台数は前年比277%、約7万台増の110,858台となりました。





テレビ広告費を大きく伸ばした経済的背景としては、この時代の消費水準の向上に伴う内需の拡大が挙げられます。1956年の経済白書では[1955年は戦後経済で最高の年] と述べられており[数量景気]と言われた時代背景をもとに、消費動向にも大きな変化が見られました。此までの食糧難時代の食品中心の消費から、耐久消費財、レジヤー等に消費の軸足が変わり[三種の神器]と言われる[テレビ][冷蔵庫][洗濯機]等が生活のステイタス商品として人気を呼び、これらの消費に支えられてこの後[神武景気]と言われる高度成長時代の幕開けを迎える事となりました。これら消費を高めた原動力の一つは将にテレビ広告であり、日々の生活の中に飛び込んでくる新鮮なコマーシルは人々の消費意欲を掻き立てたばかりでなく、新しい生活文化の構築にも大きな役割を果たしたのです。

民放テレビ局が開局してテレビ受像は人々に新しい感動を与えました。テレビ局も視聴人口拡大に様々な努力を繰り広げました。家庭でも職場でも街頭でもテレビは人々の関心を独占した時代です。
写真説明左から[テレビカーに群がる群衆][馬上からテレビ観戦][職場でテレビを囲んで][家庭の主役となったテレビ]です。<資料 北海道放送社史>