平成不況下の放送広告

1989年1月7日、昭和天皇の崩御により時代は[平成]の新時代を迎えました。1989年から続いた[平成景気] は 1991年に至り、一転して[複合不況]の局面を迎えたのです。平成年代は幾つかの景気の循環を繰り返しながら今日を迎えていますが、この間バブルの崩壊後の北海道経済は厳しい不況の波に見舞われ、中でも象徴的な出来事は1997年11月17日の[拓銀]の経営破綻でした。1900年設立され北海道開発の歩みと共に経済界・産業界の牽引役を担ってきた拓銀の破綻は北海道経済に計り知れない影響を及ぼす処となつたのです。
又、放送業界にとっても民放全系列のテレビ5局、AMラジオ2局、FMラジオ2局が出揃い、メディア間の情報、広告両メディアとしての競合も熾烈化する中で、新たな[ニューメディア]の台頭は新世紀に向けたメディア戦国時代の始まりとなつたのです。

経済成長率とテレビ広告費

左のグラフは1989年から始まる平成年代の経済生長率とテレビ広告費の伸びを対比したものです。この間'92年と'97年にマイナス成長を記録しましたが、テレビ広告費も'97年、'98年には前年を大きく下回る事となりました。経済の成長とテレビ広告費は同じトレンドで推移してきたことが理解出来ます。違った角度から言えば広告費が経済を引き上げる牽引役でもあるのです。1900年2月誕生し北海道経済の牽引車として大きな役割を果たしてきた拓銀の営業破綻。<資料 北海道放送社史>

北海道も衛星中継時代

情報化時代を迎え情報受発信の技術も大きく進歩を遂げ衛星時代の本格的な情報番組の制作を可能なものとしました。その中の新しいシステムの一つはSNGです。これらの新しいシステムの拡充発展により北海道全域のあらゆる場所から何時でもリアルタイムの映像を送ることが可能となりました。このことが地域情報の活性化を大きく進め、放送広告の面でも地域特産物の商圏拡大にも大きく寄与しました。当時話題を集めた一村一品キヤンペーンなども成功を収めた事例の一つです。