キャンパスPARTⅢでは中央道路から西エリア を北端の[恵迪寮]まで進みましたので、このパートでは[北13条門]から構内に入り中央道路の東サイドの主要箇所を紹介します。
最初に紹介するのは定番となった秋の風物詩でもある[イチョウ並木の黄葉]です。
<イチョウ並木>  
北海道大学のイチョウ並木は、札幌の観光スポットとして有名です。[北13条門]から構内に入ると通りの両側に70本植えられており、約380mの黄金色のトンネルとなる並木路です。


イチョウ並木の向かって左サイドには[医学部][北大病院][歯学部]など医療分野のエリアです。左図は北大病院です。
下図は、病院前の植え込みに設置されている彫像と胸像で,最左は本田明二さん制作の[母子像]です。
左2番目からは歴代病院長の胸像です。左から中川諭さん・有馬英二さん・越智貞見さんです。

北大病院を北上すると北18条通りに突き当たります。これまで広大な北大構内は、札幌市の東西を結ぶ幹線道路を遮断して都市計画の上での障害になつていました。この道路が開通し道路上に長さ730㍍の[環状通エルムトンネル]が完成し、北大構内の下を車が走行するようになり、アクセス面では大変利便性が高くなりました。写真はトンネルから抜け出て東に連なる道路ですがこのようにかっての北大の姿も時代と共に大きく変貌を遂げつつあります。この道路の右サイドに見えるのがモデルバーンで、この周辺には獣医学部や低温科学研究所などを始め産学協同の研究機関などもあります。


北18条通りと中央道路との交差点が[北18条門]です。此処から北には[モデルバーン][遠友学舎][獣医学部][家畜病院][低温科学研究所]などがあります。
<モデルバーン>
は北大構内に保存されている[モデル・バーン]は、北大構内の北端に位置する広い農場です。農場の由来は、明治9年(1876年)9月13日、College Farmとして開場したものです。クラーク博士の後を継いだのがW・Pブルックス先生です。この農場は、一戸の酪農家をイメージした模範農場です。写真にもある[穀物庫]と[模範家畜房]は、明治10年に落成した我が国最古の洋式農業建築として建築学的にも貴重な建造物だと言われています。

左図は[配置図]ですがこの横に農場の由来についての説明ボードがあります。そこには[この農場は札幌農学校教頭W・Sクラーク先生の大農経営構想に基づいて明治9年(1876年)9月13日にCollege Farmとして開場した。クラークの後のW・Pブルックス先生は現在のポプラ並木一帯を第1農場、当農場を一戸の酪農家をイメージした模範農場として第2 農場を開設した。中でも模範家畜房と穀物庫は明治10年(1877年)に落成した我が国では最古の洋式農業建築として建築学的にも貴重なものである。農学校が現在の時計台にあつた時代は、現北大正門付近にあつたが、明治42年-44年に現在地に移転していると書かれてあります。
北18通に面して入り口があります。

入り口の右手に事務所の建物があります。この建物は1979年(明治12年)に、第2 農場の派出所の名で建築され、当時はこの建物から農場を監視していた様です。現在はガードマンの事務所として使われています。(左図)。
事務所の建物の裏側に池があります。家畜の飲料用の貯水池でしょうか(右図)。


(左図)[釜場]は1910年(明治44年)新築され[竈]と[大釜]を備えて家畜用の飼料の加工工場でした火を使うため
札幌軟石造りの堅牢な建物です。(右図)[秤量所]は、馬車に収穫物を積んで圃場から来た満載時と帰路の空車時の全重量を測って、収穫量や収納量を求めたものです。
                                    


この建物は[収穫室及び脱ぷ室]です。ここは麦を始めとする穀物の脱穀、選別作業を行う場所で、籾摺り室の事だそうです(左図>。写真右手の三角屋根の建物が[コーンバーン(穀物庫)]です。この建物は1877年(明治10年)にブルックス教授の設計で建築されましたが、玉蜀黍を貯蔵する施設です。現在地には1911年8明治44年)に移転しました。建物は高床式、2階建、切り妻造りの特色ある建物です(右図)。


この建物は、モデルバーン(模範家畜房)と呼ばれているものです。クラーク博士がアメリカマサチユセツツ農科大学農園の家畜房にならって1877年(明治10年)に建設したものです。この建物は牛馬舎で延床面積が555㎡もある大きな木造建築で46頭の成牛と育成牛室、10頭の耕馬室、7つの産室があつたそうです。2階は乾草の貯蔵庫として使用されていました。


この建物は[種牛舎]です。1879年(明治12年)に模範家畜房の建て増しとして新築したもので65坪2.325円でした。1910年(明治43年)現在地に移転した際に2階を付けて独立家屋としました。建物の長さ13.5間の切り妻造り総2階建で1階には6室の繁殖用の種牛房があります。又、2階には中央に4つの農耕飼料タンクがあり他に乾草を収納する平床です(左図)。
牧牛舎(牝牛舎)を裏側から撮影した物です。サイロが一際眼につきます。この建物は1909年(明治42年)サイロなど明治末期に海外から伝わった最新技術を用いて建設したものです。サイロは札幌軟石で出来ており約195立方メートルあります。当時[サイロ]は、緑飼貯蔵庫と呼ばれていたようです。(右図)


[モデルバーン]と隣り合わせに位置するのが[遠友学舎]です。
<遠友学舎>
北海道大学創基125周年記念事業の一環として,平成13年9月,キャンパスの北側(旧馬術部跡地)に建設されたのが 「遠友学舎 」です。遠友学舎」という名前は,1894年(明治27年),札幌農学校卒業生であり,札幌農学校の教授であった新渡戸稲造夫妻 が,貧しさから教育を受けられない若者たちのために,現在の札幌市豊平橋付近に開いた男女共学の夜学校「遠友夜学校」に由来して います。

北18条通り[モデルバーン]入り口前を西に進むと牧歌的な空間が広がっています。[獣医学部][家畜病院]があり牛が放牧されている長閑な風景です。


北大には2つの[畜魂碑]が建立されています。下図左は獣医学部家畜病院北側にある畜魂碑で銘板には次のように刻まれています[本畜魂碑は本学獣医学部並びに獣医学研究科において、獣医学教育研究のために供された多数の実験動物並びに本学附属家畜病院において治療の効無く死亡した家畜、愛玩動物に対して、厚い感謝と深い愛惜の念を籠め、これら動物達の魂を慰霊するために建立されたものである。最初の畜魂碑は昭和二十三年(一九四八年)七月二十日旧家畜病院横に建立されたが、学部新校舎建設に伴い昭和三十九年(一九六四年)現在他に移設された。以来五十有余年の星霜を総て石碑の損壊甚だしきところ、この度、獣医学部創立五十周年を記念して、多くの人々等から浄財が寄せられたことにより、新たなる畜魂碑がここに完成した。旧石碑は新碑の地下に埋伏されている。動物の生命に対する我らの敬虔にして慈しみに充ちし心を永遠に]。
また、写真右はポプラ並木奥の農場敷地の一角にあり農学部所管の畜魂碑です。
(註)写真はBlog[札幌ウオーク点描]で取材活動を続けられているShunSATOさんからお借りしました。


[モデルバーン]入り口からやや西に進み右折すると見えるのが[北大低温科学研究所]です(左図)。右図の碑は、雪の研究で著名な[中谷宇吉郎]博士が、人口雪第一号の創出に成功した場所を記念して昭和54年建立された[人工幸誕生の地]碑で建立されている場所は中央道路の[大野池]側で、昭和10年に低温科学研究所が建てられた場所です。この碑は、一辺が90センチの六角平板状の雪の結晶を模した白御影石で出来ています。