村橋久成(1840年-1892年)は、薩摩藩島津家一門の出で、ロンドン留学後 1871年(明治4年)薩摩藩出身の黒田清隆次官がつとめる開拓使に採用され、
ビール醸造所建設の責任者になりました。札幌にビール工場建設の生みの親とも言われ、知事公館前庭に胸像も建立されています。
<写真はサッポロビール博物館パネルより> |
中川清兵衛(1848年-1916年)は、越後国(現在の新潟県)に生まれ、ドイツに わたりベルリンビール醸造会社で2年間の修業後帰国、1875年(明治8年)開拓
使麦酒醸造所の醸造人となり村橋とともに開拓使麦酒醸造所開業に大きな役割を 果たしました。
<写真はサッポロビール博物館パネルより> |